車椅子ヒッチハイクで3年かけて日本各地へ

寺田ユースケ
ヒッチハイクで日本一周を回った

── ホストを辞めてからはどうされたのですか?

 

寺田さん:2017年、27歳のときにクラウドファンディングで資金を集めて「車椅子ヒッチハイク」に挑戦しました。道ゆく人に「車椅子押してくれませんか?」と声をかけて押してもらいながら日本一周する「HELPUSH(ヘルプッシュ)プロジェクト」を企画したんです。『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』というテレビのバラエティ番組がすごく好きで、その車椅子版をイメージして始めました。移動距離が長いところはヒッチハイクをして車に乗せてもらい、歩く範囲は車椅子を押してもらって旅をしました。東京を拠点に行きつ戻りつして、3年かけて47都道府県を制覇し、結果的に1000人以上の方に車椅子を押してもらうことができました。

 

── 車椅子でヒッチハイクは、ハードルが高そうです。

 

寺田さん:僕も最初はそう思って、電車移動をメインにしていたんです。健常な人でも停まってもらうまでが難しいヒッチハイクを、車椅子の自分がやっても無理じゃないかって。それでもヒッチハイクをするようになったきっかけは、「ABEMA TV」さんの密着でした。

 

佐渡島へ行くところを撮影することになり、新潟からフェリーに乗って佐渡島に着いたのですが、車椅子を押してくれるような住民の方がひとりも見当たりませんでした。でもその日は佐渡島金山へ行くというミッションを掲げていたので、ディレクターさんから「ユースケさん、ヒッチハイクのチャンスですよ」と言われ、「一台も停まってくれないかもしれませんよ」と言いながら国道沿いに立ったんです。その直後、奇跡的に道路を挟んで向かいの美容院から店長さんが出てきて「兄ちゃん、どこ行くの?」と聞いてくれたんです。「金山へ行きたいんです」と答えると、美容院のお客さんに「この兄ちゃん乗せてってあげてよ」と無茶ぶり。そのお客さんも「うちの車デカイからいいよ」と言って乗せてくれて、特別天然記念物のトキが見られる場所にも連れて行ってくれました。

 

── 親切な方と出会えたのですね。

 

寺田さん:本当に幸先よかったです。初のヒッチハイクが2秒で、しかも代理交渉で成功したのに自信を得て、その後は「〇〇まで乗せて行ってください」というボードを掲げてヒッチハイクをしました。意外と皆さんそれほど待たずに停まってくれて、思いがけずスムーズでした。SNSで居場所をつぶやいたり生配信をしたりしていると迎えに来てくれることもありましたし、日本人って優しいなと実感しました。

 

東日本からスタートして、16道県はひとりで旅しながら配信などしていたのですが、きちんと映像に残したいと思うようになり、SNSに動画を上げるようになりました。その撮影スタッフが今の妻です。カメラマンとして旅に同行するために仕事を辞めてついてきてくれました。