先天性の脳性まひで車椅子生活を送る寺田ユースケさん。大学時代のイギリス留学の経験を通して「障がいを笑いにしたい」と芸人を目指すも、紆余曲折あり、なぜか車椅子ホストとして歌舞伎町で働くことになったそうで── 。(全3回中の2回)
「3年やってダメなら…」と約束してNSCへ

── 大学生時代にイギリス留学を経験してブラックジョークに触れたことがきっかけで、芸人を目指したそうですね。ご両親はびっくりされたのでは?
寺田さん:まさに目が点になっていましたし、家族全員に反対されました。でも、イギリスで『Mr.ビーン』のような、マイノリティやイギリス王室ネタをブラックジョークにするテレビ番組や、モンティ・パイソンのように毒々しい社会風刺が得意なコメディグループのお笑いを知ったこと。また、関西の大学で過ごしたので「おもしろいことが正義」という考えが染みついたことがあって、「日本で障がいをネタにしたお笑いをやりたい」という気持ちが大きくなってしまったんです。最終的には両親が折れて、3年やってみてダメだったらあきらめる、という条件つきでNSC吉本総合芸能学院に入校しました。
── お笑いの世界に足を踏み入れてみて、いかがでしたか?
寺田さん:学校でお笑いを学ぶうちに気がついたのですが、NSCに入ってくる人はほぼ全員「自分がいちばんおもしろい」と思ってお笑いに取り組んでいるんです。けれど自分はそこまでの自信がどうしても持てなくて。障がいを笑いにしたい、ブラックジョークをやりたい、という気持ちだけはあるのですが、車椅子をネタにした笑いは講師にも同期にも不評。技術や才能がないのはもちろん、自信もないからネタをやってもおもしろくない。NSC卒業後に上京したものの、この体ではほかの芸人みたいにアルバイトができないからお金もなくなっていき、3年という期限もあったので、芸人になるという夢はあきらめました。
歌舞伎町で気づいた自分のなかの偏見と差別

── その後、ホストに転身されたそうですね。
寺田さん:はい。お金も仕事もなくどうしようと困っていたら、乙武洋匡さんが「歌舞伎町のホストクラブで働いてみる?」と紹介してくれて、面接を受けました。
── 乙武さんとはお知り合いだったのですか?
寺田さん:はい。車椅子姿でメディアの最前線で戦っている姿を尊敬していて、手紙を書いて会いに行ったことがあって、それ以降、交流が続いていました。YouTubeで対談させてもらったこともあります。
── もともとホストに関心があったのですか?
寺田さん:まったく興味なかったですし、逆に歌舞伎町のホストなんて怖いし、女性をだますような人ばかりという偏見すらありました。でも、紹介いただいたからとりあえず飛び込んでみようと思って面接を受けたら、ホストクラブの会長から「車椅子だから(『アルプスの少女ハイジ』から引用して)源氏名はクララにしよう!いつから出勤できる?」と言われて、あっけなく採用になり、車椅子ホストとして働くことになりました。そのホストクラブはバリアフリーで、車椅子の人も来店できるようになっていたので、乙武さんはそこまで見越して紹介してくれたのかもしれません。
── 実際にホストの皆さんと知り合ってみてどうでしたか?
寺田さん:ホストクラブで働いてみてわかったことは、自分自身が障がい者で差別してほしくないと思っているのに、僕はホストのことをひとくくりにして、思いっきり偏見の目で見て、差別していたということです。実際に知り合ってみれば、100人いれば100通りのホストがいますし、まじめに働くホストが大多数。そして、お客さまをもてなすプロフェッショナルの集団がいるのがホストクラブでした。ホストクラブの会長は「知ることから差別はなくなる」という考えの方でしたが、僕はホストのことを何も知らないくせに「ホスト」という肩書きだけで判断していたんですよね。

── ホストになったのに、ホストのことを敬遠していたと。
寺田さん:ホストクラブってチームプレイなんです。お互いのサポートがなければお客さまに喜んでもらうことができないのに、働き始めたころは偏見があるうえに健常者に負けたくないという気持ちが先行して、自分だけで何とかしようとしていました。そんな僕にもみんな親切に仕事を教えてくれたのに、「心の底では僕のことをバカにしているかもしれない」と、なかなか信頼できなくて…。
でもあるとき、会長に言われたんです。「『このなかで俺がいちばんカッコいい』なんて勘違いしているヤツは売れない。自信がない自分と闘いながら地道に努力して、売れっ子になってもうぬぼれずに地道に営業して、ほかのホストのフォローも忘れない。そういう繊細さを持ったヤツだけがトップになれるんだ」と。そこからほかのホストを見る目が変わって、みんなと仲よくなり、仕事がしやすくなりました。
── どのくらいの期間、ホストとして働いたのですか?
寺田さん:約2年です。脳性まひである僕は体調のことを考えて「終電帰り・お酒は飲めないホスト・クララ」として働いていたのですが、どうしても生活が不規則になるのは避けられなかった。ホストの仕事が楽しくなったのに反比例して、体調がどんどん悪くなっていったんです。特に足の痛みがひどくなり、先延ばしにしていた病院へ行くと、「これ以上ホストの仕事を続けるのは勧められない」と医師から言われてしまいました。それで辞めることにしたんです。