リポーターとして長年活躍を続けた東海林のり子さん。熱中したのは仕事だけではありません。90年代始めころから続くヴィジュアル系バンドの推し活では、「ロックの母」と呼ばれるように。ついに90歳にして初めてYouTubeも開設し── 。(全4回中の4回)
90歳の今も毎朝の声出しが日課

── 今日の取材で東海林さんにお会いして、かつてテレビから聞こえてきた声と変わらない、よく通る明るい声に驚かされました。
東海林さん:ああ、それはうれしい。「その声、昔と変わりませんね」と言われるのが私はいちばんうれしいんです。もちろん、声域はだいぶ下がっているとは思うんだけれども、そこはやっぱりプライドがありますね。リポーターとして第一線を離れてずいぶん経ちましたが、声出し練習は今も変わらずしています。朝起きたら、まずは亡くなった夫と愛猫の仏壇に「おはよう、パパ。おはよう、ミミちゃん」と挨拶をして、それから声のトレーニングを兼ねて新聞の一面を音読するのが毎朝の私の日課。世間では今どんなことが起きているのか知っておきたいし、新聞の一面をすっと読めなくなったら「自分はそろそろボケ始めたのかな」と気づく目安にもなるかもしれないでしょう?新聞も雑誌も、最近はどんどん薄くなっちゃいましたけどね。
── 90歳にして初のYouTubeチャンネル「東海林のり子現場に直撃チャンネル」を開設し、Xでも長年の趣味であるV(ヴィジュアル)系バンドの“推し活”について発信するなど、最近のメディア環境にも見事に順応されていますね。
東海林さん:私のV系歴は長いですから。出会いはX JAPANにまだJAPANがついていなかった、1990年代の始めのころだったかな。ラジオ番組でTOSHIくんが「リポーターの東海林さんが取材に来てくれないかな」と話していましたよ、と知人が教えてくれたので、お会いしてみたんです。そしたら派手な格好とは裏腹に、お行儀がよくて驚いたんですね。さらに、初めて会ったときに「僕たちのバンドは1年間、ライブを休んでいるんです」とTOSHIが話すので、「1年もバンドを休んでいたらファンが離れない?」といろいろ気になって聞いてみたんです。それからしばらくして、彼らが1年ぶりにライブを開催するというので行ってみたら、会場にはコスプレした熱心なファンの子たちが大勢押し寄せていて、YOSHIKIの作る曲も素晴らしかった。その熱気と音楽性に私も一気に魅了されてしまいました。
── V系ブームが盛り上がってきた90年代当初から、東海林さんはすでにその魅力に気づいていたのですね。
東海林さん:そもそも「V系」という言葉自体、ギターのHIDEちゃんの言葉が語源と言われていますからね。事件現場をあちこち飛び回りながら、よくV系のライブにも通い続けていられたな、と今振り返っても自分でも驚きますね。過去には、7時間のライブに参加したこともあるんですよ。