悲惨な現場を取材しても

── 昭和から平成にかけて、事件リポーターとして数々の事件を取材されてきた東海林さんですが、悲惨な現場も少なくなかったと思います。心身を健やかに保つために何か意識していたことはありますか。
東海林さん:私にとっては家族が大きな救いになりました。仕事で凄惨な事件を取材して気持ちが落ち込んでも、帰宅して家のドアを開けると不思議なくらいパッと気持ちが切り替わるんです。子どもたちから「お母さん、明日は学校にこれ持ってかなきゃ」「段ボールってまだある?」とか細々とした用事を言われると、一瞬で日常の世界に戻れてしまう。私、そこはすごく器用だったの。ドアを開けるともう別世界、という毎日でした。だから、帰宅後に「今日のママの仕事、大変だったよ」と愚痴を家族に言うようなこともありませんでした。今まさに子育て中の人たちも、仕事と家庭で気持ちをカチッと切り替えたいのであれば、仕事の話は家庭に持ち込まないほうがいいと思う。
── お子さんたちが成長してから、進路や職業の選択などで母親である東海林さんの影響を受けた部分はありましたか。
東海林さん:それがもう、何ひとつありません。息子は中国で仕事をしていて中国人の女性と結婚しましたし、娘とは“推し”の趣味もちっとも被りません(笑)。私をずっと支えてくれた夫は、2018年に腎臓病で亡くなりました。彼は40代で腎臓病になって以来、ずっと病気がちで定年退職後もなかなか病気と縁が切れなかったんですね。一時はうつ病やアルコール依存症のような症状が出てしまって、晩年は大変な時期も長く続きました。
90歳になって過去を振り返ると、人生はやっぱり山あり谷、いろいろあって今の自分があるのだなと実感します。でもね、仕事を100%やりきった自信があるおかげで、後悔はまったくないんですよ。全力で頑張ったから、あとはもう大丈夫。だから今、仕事を頑張っている人には、頑張ったぶんだけ人生の後半はきっと楽になりますよ、と伝えたいですね。
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長年リポーターとして活躍を続けるいっぽう、実は私生活ではビジュアル系バンドの推し活を熱心に30年以上続けている東海林さん。いつしか「ロックの母」とまで呼ばれるようになりました。90歳になった今もライブには足を運びながら、YouTubeチャンネルを開設してV系の素晴らしさを伝えています。
PROFILE 東海林のり子さん
しょうじ・のりこ。フリーアナウンサー、リポーター。1934年、埼玉県生まれ。57年、立教大学文学部卒業後、ニッポン放送にアナウンサーとして入社。70年に退社後はフリーランスの芸能リポーターとして「3時のあなた」「おはようナイスデイ」などの事件リポーターとして名を馳せる。95年、リポーター職から引退。2024年、90歳で初のYouTubeチャンネル「東海林のり子現場に直撃チャンネル」を開設。
取材・文/阿部花恵 写真提供/東海林のり子