昭和を代表するリポーター・東海林のり子さんが活躍したのは、仕事と子育ての両立がまだ珍しかった時代。周りからの嫌味に、ご本人だけでなく家族も傷ついてきましたが、それでも家庭が救いだったそうです。(全4回中の3回)
「年下の男と結婚してよかった」と思った夫の言葉

── ニッポン放送入社3年目の25歳のときにサークルの後輩男性と結婚されています。結婚の決め手は?
東海林さん:私は大学でESS(英語研究会)に入っていたのですが、私が大学4年生のときに、そこに入ってきた3歳下の後輩が夫です。結婚を決めたのは「彼となら一生自分が先輩でいられるな」と思ったから(笑)。私は結婚後もずっと仕事を続けるつもりでしたから。結婚当初は彼がまだ就職する前だったので、私が家計を支えた時期もありましたね。
── 37歳でニッポン放送を退職後は、フリーのリポーターとして数々のニュース番組で活躍されるように。仕事と2人の兄妹の育児、どのように両立されたのでしょうか。
東海林さん: 2人目を出産してしばらくしたころ、夫から「これからも仕事を続けるつもりなのか?」と聞かれたことがありました。それに対して私は「1週間待って」と答えたんですね。きちんと時間をかけて真剣に考えさせて欲しかったから。でもね、考えたけれどもやっぱり自分はこの仕事が好きだと思えたので、1週間後に「仕事を続けたい」と夫に伝えたんです。それに対して彼は「じゃあ家のことは俺がやるから大丈夫だよ。あなたは仕事でナンバー1を取ってこい。日本一のリポーターになれ」と言ってくれたんです。あのときは年下の男と結婚してよかった、と心底思えましたね。
そこからは、夫に家のことを任せつつ、忙しいときは紹介所に頼んで家政婦さんをお願いして、私は全力で仕事に励むことができました。自分で働いて得た給料の中から出すわけですから、そこはもう何のためらいや罪悪感もなかったです。時代の価値観とは明らかに違っていたけれども、私にとってはそうまでしてでも仕事を続けていくことが大切でしたから。世間の人からはちょくちょく嫌味や皮肉を言われましたけどね。
──「育児よりも仕事を優先する母親」への嫌味、ということですか?
東海林さん:そうです。たまに娘を連れて買い物に行ったりすると、知り合いの女性から「あら、Aちゃん、今日“は”ママと一緒なのねぇ。いいわね~」と思いっきり嫌味な言い方をされたりしていましたよ。道端で集まっていた女性陣が、「東海林さん、たったの1000円しか募金しなかったんですって。あんなにお仕事されているのにねぇ」とおしゃべりしているのを耳にしたことも。女が働いているというだけで、何でここまで言われなきゃいけないのか、と思いましたね。
うちの子たちは私に何も言いませんでしたが、学校で嫌な思いをしたことは一度や二度じゃなかっただろうなと思いますよ。長男が子どもの頃に通っていた塾で、息子がいじめられたことがあったのですが、「お前のママ、テレビに出てたな」って私のことでからかわれたらしいんですね。それでも、子どもたちが「ママがそんな仕事するせいだ」と私を責めてくるようなことはいっさいありませんでした。あれはなぜだったのか、今も不思議です。