「現場の東海林」として忘れられない事件

東海林のり子
明るくていねいにお話ししてくださった東海林さん

── 40代から50代にかけては、芸能ニュースから凶悪事件までを追うリポーターとして人気番組にも多数出演されていました。「現場の東海林です」のフレーズが今も印象的ですが、どんなところに仕事の醍醐味を感じていましたか。


東海林さん:リポーターという仕事を通じて、時代を見ることができた。その実感こそが醍醐味だった気がします。スタジオで原稿を読むだけではなく、事件や災害が起きたすぐそばまで実際に足を運び、空気を感じ取り、周辺の人々から証言を集めてカメラを通じてその事実を届ける。現場に行って遭遇したあらゆる出来事からの学びは、どれだけ悲惨でも自分にとっては決してマイナスにはなりませんでした。

 

あるとき、両親が小学生の子どもらと一家心中を起こした現場に行ったときは、取材でその家族が死の直前に、灯油代を払えていなかったことがわかりました。今の時代であれば、役所の窓口に行って生活保護なり何なりに繋げることもできたかもしれません。けれども、80年代はそうした知識がない人が多かったし、灯油代が払えない=もう家族で死ぬしかない、という発想になってしまったのでしょう。

 

1980年に起きた金属バット両親殺人事件の現場取材も忘れられません。大学受験で二浪中だった予備校生が、夜中に就寝中だった両親を金属バットで殴り殺した凄惨な事件です。その家庭は父親が東大卒のエリート、犯人の兄である長男も優秀だったので、二浪中だった次男は精神的に追い詰められていたそうです。当時はちょうど受験戦争が加熱していた時期でしたから、ある意味では時代が起こした事件だったとも言えるかもしれない。そんなふうに生々しい事件現場を訪れると、悲惨だ、かわいそうだという気持ちだけではなく「なぜこんなことが起きてしまったのか?」という疑問とやりきれなさが募ります。