怒りや悲しみを残しておくこと
── 現場取材を通じて事件を知ることが、時代や社会制度の欠陥などについて深く向き合う契機にもなっていたのですね。
東海林さん:そうですね。一方で私はワイドショー番組の芸能リポーターとしても長く活動してきましたから、ワイドショーが世間からはどれだけ低俗なものとして見られているかも肌で感じてきました。そのことを痛感したのが1986年の「海洋調査船へりおす」遭難事件です。調査船が沈没して艦長が消息不明になった。そのとき私も記者会見の現場を訪れたのですが、調査船に乗っていた艦長の奥さんが着替えを持ってきたという情報が入ってきたので、被害者の家族の悲しみもきちんと番組で届けたいと思ったんですね。
ところが、遺族の代表らしき人が私の番になったら「低俗なワイドショー番組には話せない」と言って、私が出した名刺を受け取らなかったの。もう頭に来て「帰ろう!」とスタッフに声をかけて走って帰りましたけど、怒りのあまり有刺鉄線に引っかかって転んじゃいましたよ。
たしかに、報道番組には事実を伝える役割があるし、ワイドショーが低俗に見られている現実もわかっています。でも、事実だけではなく、被害者の悲しみや怒りを世間に伝えることもメディアができる大事なこと。家族を殺害された人は、事件の直後は怒りや悲しみに震えます。けれども、裁判が始まるまでの数か月の間に気力が失われていき、怒りや悲しみが萎んでいってしまうこともある。だからこそ、被害者となってしまった人々の怒りや悲しみ、叫びをきちんと残しておくことも必要だと私は思う。もちろん、そのことで散々悪しざまに言われることもありますが、そういう意義のためにマイクを向けたい、という気持ちがあったこともたしかです。
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数々のニュースや事件をリポートし続けた東海林さんが現役を退いたのは60歳のとき。阪神・淡路大震災がきっかけでした。その後も、大きな事件が起きるたびに「現場で取材したい」と言う思いにかられたものの、自分は仕事にプライドを持ってやりきったので悔いはないと、教えてくれました。
PROFILE 東海林のり子さん
しょうじ・のりこ。フリーアナウンサー、リポーター。1934年、埼玉県生まれ。57年、立教大学文学部卒業後、ニッポン放送にアナウンサーとして入社。70年に退社後はフリーランスの芸能リポーターとして「3時のあなた」「おはようナイスデイ」などの事件リポーターとして名を馳せる。95年、リポーター職から引退。2024年、90歳で初のYouTubeチャンネル「東海林のり子現場に直撃チャンネル」を開設。
取材・文/阿部花恵 写真提供/東海林のり子