現役の脳神経外科医でありながら、ファッションデザイナーとしても活躍するDrまあやさん。今でこそ「カラフルデブ」を自称し活動していますが、医学部に入学した当初は医師の道1本を極めるつもりだったそう。それが大学院である挫折を経験し、人生が変わり始めます。(全3回中の2回)
医師1本で進むはずだったが

── 脳外科医としてキャリアを積んでいたまあやさんが、34歳でファッションの世界に足を踏み入れたのは、なぜだったのでしょう?
Drまあやさん:もともとファッションは大好きで、学生時代はジャン・ポール・ゴルチェやコム・デ・ギャルソンに夢中になり、原宿で個性的な服を探し歩いたりしていました。医大時代はアフロっぽい髪型をしていて、国家試験はドレッドヘアで受けています(笑)。とはいえ、最初から医師とファッションデザイナーとの二刀流を目指していたわけではありません。医学部に入ったときから「脳外科医として患者さんを救いたい」と心に決め、その思いを胸に誇りを持って働いてきましたし、今もその気持ちに変わりはありません。ただ、大学院で挫折を経験したことが、転機になりました。
── 挫折というのは、どのような経験だったのでしょう?
Drまあやさん:博士号を取得するために大学院で研究をしていたのですが、思うように進まず、ある日、教授にこっぴどく叱られて落ち込んでいたんです。その日の帰り道に目に入ったのが「日本外国語専門学校の海外芸術大学留学コース」という看板でした。それを見た瞬間、フッと思い出したんです。「そういえば、ロンドンのセントラル・セント・マーチンズという芸術大学でファッションを学んでみたかったな」と。そこから心に火がついて「脳外科医として生きるだけがすべてじゃない。2つの夢を追ったっていい。きっとやれる!」と気持ちが高まり、その足で入学を決めました。祖母に電話で「脳外科医を続けながらロンドンでファッションを学んでデザイナーになる」と伝えたんです。絶対、反対されると思ったら、意外にも「いいんじゃない?やりたいことやれば」と。あのひと言に背中を押されましたね。
── すごい行動力ですね。教授には反対されませんでしたか?
Drまあやさん:「ファッションの勉強で留学したいので医局の人事から外してください」と伝えたら、「どうして?」と驚かれました。当然ですよね(笑)。でも、「やりたいことが見つかったんです。今、動かなかったら一生後悔すると思うんです」と。懐の深い教授だったので、最終的には快く送り出してくれました。2年間留学し、帰国後は脳外科医として復帰。同時にスタイリストのアシスタントとして2年半働きました。体力的にはかなりハードでしたが、修行だと思って食らいついていましたね。2018年にアトリエを巣鴨にオープンしたときには、アシスタント時代に交流のあった篠原ともえさんが来てくださったんです。うれしかったですね。