里親として迎えていた男の子と養子縁組をした志賀志穂さん。息子さんには、養子縁組であることを伝える「真実告知」を年齢に合わせて繰り返し行い、「家族になれて幸せ」とていねいに伝えてきているそうです。(全4回中の4回)

養子縁組家族が、徳島移住で新たな挑戦 

志賀志穂
徳島に移住して子育てをしていたころ

── 0歳から里親として育てていた息子さんと、2歳を前に、特別養子縁組が成立しました。同時期にご夫婦で「さいたまあゆみの会」という任意団体を立ち上げて、その後は徳島に移住されたそうですね。

 

志賀さん:世の中では養子縁組の認知度が少しずつ上がってきても、実際に暮らす地域のコミュニティの中では、未だにマイノリティな親子と見られる現実をひしひしと感じていました。そこで「さいたまあゆみの会」では血縁によらない家族が、地域のなかでは理解されづらい血縁に寄らない家族の育児のしんどさをも安心して共有できる場として、子ども食堂「あゆみのカフェ」をオープンしたんです。一度に約40人くらいの家族が集ってくれました。でも、参加者がカフェの外へ出れば、やっぱり閉鎖的で…。

 

それなら、人が流動的な都市部ではなく、田舎の古民家=自宅をコミュニティスペースに変えて住みびらきをし、高齢者、障がいのある方も関係なく、住民のみなさんに遊びに来てもらおうと思ったのです。

 

もっと言えば、息子が交友関係を広げていったときに、出自に後ろめたさを感じて「言えない」のであれば、家族で閉じた大きな秘密を抱えることになってしまう。だからこそ、お隣同士の顔が見えて信頼感の持てる小さなコミュニティ=過疎が進む地域で、社会に開いた育児にチャレンジしたいと考えました。 

 

── 当時住んでいた埼玉とは、環境がずいぶん変わるのでしょうか?

 

志賀さん:私たちが移住した徳島の地域は、高齢化が進み、子どもが少ないこともあって、子連れでの移住を大歓迎してくれました。ご近所のおじいちゃんおばあちゃんが、子どもは町の宝だと優しく息子に声をかけてくれる。実子か養子かなんて、気にする人は誰もいなかったですね。息子がギャン泣きしたところで「大きな声の元気な男の子だねぇ。子どもの声がこの町に響くなんてうれしい」と。

 

私たち夫婦側にも養子縁組の特有の親の高齢化の課題があって、幼い息子の将来を考えると、息子と大切に向き合ってくれるコミュニティづくりがしたいと考えていました。

 

── 移住によって周囲との関わり方にも変化が生まれた経験を経て、息子さんが養子縁組として家族になったことを改めてどう思いますか?

 

志賀さん: 養親の私、生まれてすぐ母と別れた養子の子、子を育てられないご事情がある生母さん、それぞれが「子どもの幸せな未来」のために祈ることが、私にとって特別養子縁組で家族をつくっていくことのスタートラインなんだと思います。