「なんでうちの子は産まれてこられなかったの」と

── 志賀さんの亡くなったお子さんは、18トリソミー(18番染色体が余分にあることで引き起こされる染色体異常の一種)でしたが、13トリソミーのお子さんの写真展に足を運ばれたとか。
志賀さん:これからどうしていいかもわからず、救いを求めるように、同じく染色体の障がいがある13トリソミーの子どもたちの写真展を見に行ったんです。会場には、車椅子に乗って医療機器をつけた13トリソミーの女の子とそのお母さんが迎え入れてくれました。しかし、「なんでうちの子は産まれてこられなかったのでしょうか?あなたのお嬢さんはこんなにもかわいいのに!」と私は泣き崩れてしまったんです。
女の子は私の手を握って笑いかけてくれて。死産したお腹の子と同じ、優しい笑顔でした。ふと我にかえり、お母さんに謝ると「うちの娘を本気でかわいいと言ってくださる方がいるなんて、本当にありがとうございます!娘は今までかわいそうと言われても、羨ましがられることは一度もなかった」と怒るどころか喜んでくれました。
その帰り道。やり取りを見守っていた夫が突然、ひと目もはばからず「ぼくだって子どもを失った父親なんだ!子どもを失ったのは君だけじゃない」と言って、子どもみたいに泣きじゃくったんです。私はあまりの衝撃に涙も引っ込み、どうして私は、今までひとりぼっちで絶望のなかに閉じこもっていたのだろうと。帰宅後、「ちゃんと生きるって決めたよ。これからは亡くなったわが子にも誇れるような生き方をしていきたい」と夫に伝えることができました。
── その後、志賀さんご夫婦は里親になる決断をされます。写真展での親子との出会いから、どのような思いで、里親や特別養子縁組を選択されたのですか?
志賀さん:私が亡くなったお腹の子に誇れる生き方をしたいと言うと、夫が里親になろうと提案してくれたことが最初のきっかけとなりました。
でも、当時の私は、街で赤ちゃんを見ると死産がフラッシュバックし、とてもつらい時期でした。こんなに情緒不安定な私がちゃんとした親になれるのかと悩みましたが、夫が「ぼくたちのもとにくる、親と別れを経験した里子たちは、行き場のない悲しみや怒りを抱えている。死産を経験して、親子の別れがどれだけ人生を根こそぎ奪っていくものか心と身体で感じた君こそが、いちばん子どもたちに寄り添うことができる存在だよ」と。
私が抱えるつらい気持ちこそが、困っている子どもたちの助けになるのかと思えたらと、里親として一歩を踏み出してみようと思えるようになりました。そして私自身も、「死産を喪失体験としてだけではなく、未来につながっていく希望への兆し」と、徐々に捉え直すことができるようになって、心の内が変化していきました。
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世の中には親と暮らせない子どもがいるなかで、自分たち夫婦を必要としてくれる子がいるなら育てたい。小さな命のバトンをつなぎたいと、志賀さんご夫婦は児童相談所で里親登録をし、新たな一歩を踏み出しました。
取材・文/松永怜 写真提供/志賀志穂