今でいう「ネグレクト」状態も「お母さん=好き」だった

── 当時、足の裏さんにとって、お母さんはどんな存在だったんですか。

 

足の裏さん:母は私が幼いころに離婚していてシングルマザーなんですが、私が4人目の子なんです。いわゆる異父きょうだいがいて、いちばん上の兄だけは一緒に暮らしていましたが、年が12個も離れていたので関わることがとても少なく、ひとりっ子のように育って。だから私にとっては、本当に母しかいなくて、母としか関わらない生活でした。

 

今でいうネグレクトにあたるのかなと思うんですが、一緒に遊んでもらった記憶もないですし、保育園や幼稚園にも通わせてもらっていなくて、小学校に上がるまではいつもひとりで団地の周りをウロウロ歩いていました。

 

小学校に入ってから友達はできましたが、自分の家族は母だけで。今、大人になって当時のことを思うと、本当にひどいなと思うんですが、当時の私にはそれがわからなくて。だから、お母さん=好き、みたいな感覚で。「お母さんがイヤだ」と思うことは中学生になるまではほぼなかった、と思います。

 

── 当時いちばんつらかったのはどんなことでしたか?

 

足の裏さん:いろいろありすぎて、いちばんを選ぶのが難しいんですけれど…。高校の修学旅行に行けなかったことかな。そのときも生活保護をいただいていて、そこから私のバイト代分は引かれていたんですが、修学旅行代も国からいくらか援助をいただいていたと思うんです。でも、そのお金を母がほかのことに使ってしまって、修学旅行に行けませんでした。

 

いつも学費や給食費が払われてなくて、先生から「ちょっとまた給食費が…」って言われて、謝って回るのも地味につらかったです。特にみんなの前で未払いについて指摘されるといたたまれなくて。「なんでお母さんは払ってくれないんだろうな」って。でも小学校のときは自分でバイトすることもできず、どうしようもなかったですね。

 

── とても過酷な環境だったと思うのですが、当時どんなことが支えになっていましたか?

 

足の裏さん:「辛いは幸せの途中」っていう言葉がすごく好きで。「辛」という漢字に1本たすと「幸」になるっていう。その言葉を小学校のときにテレビで見かけてから、ずっと支えになっていたと思います。

 

── すごい小学生ですね…。

 

足の裏さん:いえ、私なんかよりも過酷な人生を歩んでいる方なんてたくさんいると思うんですけど…。小学校のときも、栄養失調にはなってたけれど生きていますし。生きていてよかったなと思いますね。