自分の心を殺しながら人に接していた

── その後、精神的には大丈夫でしたか。

 

仲宗根さん:メンタルは全然、保てていなかったですね。産んだときはもちろん悲しくて泣いていたのですが、時間が経つにつれてどんどん悲しみが湧いてきて。現実として受け入れる準備なのかなとも思うんですが、悲しい感情が日を追うごとにさらに湧いてきた感じがしました。特に周りで妊婦さんを見かけると、フラッシュバックのように鮮明に思い出されて。私が息子を亡くした2か月後に友人がベビーシャワーをしていたのですが、幸せそうな写真を見るのもきつかったです。

 

── 仕事に復帰もされたそうですね。

 

仲宗根さん:子どもを亡くして2か月ぐらいで仕事に戻ったのですが、自分の精神的にはもうとてもじゃないけど戻れるような状態ではありませんでした。こういう仕事をしていると、妊婦さんから「お腹をなでてください」と声をかけられることが多くて。もちろん笑顔で応じて、心から無事に産まれてほしいと思っていました。「私が感じている苦しみをこの方が感じませんように」と願って接していましたし、決して憎しみを持っていたわけではないのですが、笑顔も騙し騙しといいますか。

 

人前では、自分の悲しみを気づかれないようにするのに必死でした。「産まれたばかりのお子さんに名前つけてください」と声をかけられるのもすごくつらかったです。自分の心を殺しながら接していたのですが、そのトラウマは今でも残っていて、たぶん一生消えることはないだろうと思っています。

 

── 悪気がない言葉の方が、傷つきますね。

 

仲宗根さん:本当にいろんな声をかけられました。「私は流産を2回しましたが、今は2人子どもがいます。だから泉さんにも返ってきてくれますよ」「赤ちゃんもそばにいてくれていますよ」「きっとまた会えますよ」。一見すると優しい言葉に聞こえますが、そのときは「私の気持ちなんてわからない。何も知らないのに簡単に言わないでよ」と思ってしまって。

 

私は、長女を出産したあと、子宮外妊娠で流産の経験もあるんです。本来ならば 3人子どもがいたはずなのですが、現実には子どもはひとり。離婚もしていますので、ますます子どもを望むハードルは高いんです。

 

仲宗根泉さん
キーボードを弾きながら歌う仲宗根泉さん

── 妊娠、出産は人によって本当に状況がさまざまですね。

 

仲宗根さん:本当にセンシティブなことだと思います。妊娠や出産の報告は、仕事にも関わるので公表しなくてはならないでしょうけど、それに傷ついている方もきっといらっしゃると思います。私の状況も「ひとり子どもがいるんだからいいでしょ」と思う方はもちろんいらっしゃいますよね。それを言い始めたら、好きな人ができないとか、結婚の経験がない、パートナーがいない…。考え始めたらキリがありません。こんなことを思ってしまうなんて、自分はすごく小さい人間なのかもしれないなと悩みますし、人間ってすごく欲深い生き物だなって。他人の状況は羨ましく思えてしまうんですよね。

 

── ご自身の経験を通じて、皆さんに伝えたいことはなんですか。

 

仲宗根さん:SNSにも「いい子ちゃんではいたくない」と本当の気持ちを書いたのですが、その方は励ましているつもりでも、励ましにならないことがあるということを知ってほしいと思っています。もし友達や周りにつらい経験した人がいたら、ただただ、その人の話を聞いて寄り添ってほしいです。何か言葉をかけたくなるかもしれないけど、その言葉がまた傷を深くする場合もあります。人は自分が幸せを感じているときほど、周りが見えなくなるものです。ひとりでも私のような思いを抱く方が少なくなる世の中になってくれたらいいなと願っています。

 

 

息子さんを死産されたあとに離婚、同じ年に父親も亡くされた仲宗根さん。当時は母親のケアを最優先に考え「自分の感情なんてあと回し」にしていたと言います。しかし、コロナ禍で4年越しの悲しみに見舞われます。「今まで大丈夫だと思っていたけど、全然大丈夫じゃなかった」。「悲しみは先延ばしにしても消えることはない」と話す仲宗根さんの心の支えとなったのは、最愛の娘の存在だったそうです。

 

PROFILE 仲宗根泉さん

なかそね・いずみ。1983年沖縄県生まれ。沖縄を拠点に活動しているバンド「HY」のキーボード&ボーカル。HYは2000年結成。紅一点の仲宗根泉は、ストレートな楽曲と、時には厳しく、時には面白おかしく、個性溢れるキャラクターが男女問わず支持されている。一児の母であり、仕事と家事を両立することの難しさを感じながら、ひとつひとつ向き合いながら歩んでいる彼女のもとには年齢問わず、恋愛相談、人生相談を求める声が多い。HYとしては、バンド結成25周年記念全国ホールツアー開催中。