きっかけは家族バンド「耳コピで覚えたキーボード」

── 小学生のころには「将来は歌手になりたい」と思っていたそうですが、仲宗根さんが音楽に出会うきっかけは何でしたか。

 

仲宗根さん:当時トラック運転手だった音楽好きのお父さんが、ある日、突然「家族でバンドをするぞ!」と言い出したのが始まりでした。小学3年生のころです。「今日からお前はピアノだ」って、学校から帰ったらいきなり家にキーボードがあって。ピアノより安価だったのが理由だそうですが、私はピアノを弾きたいなんて一度も言ったことはありません。お父さんは厳しい人だったので、言い出したら聞かないんですよ。そこから学校が終わったら毎日練習の日々で、友達と遊んでいたら怒られました。

 

選曲はお父さんの趣味で、ロックが基本。ザ・ベンチャーズの曲が多かったです。これまで聞いたこともなければ、歌詞も英語。お父さんは完璧主義者と言いますか、自分が思ったことを家族にもしてほしくて、中途半端なことは絶対に許さない人でした。

 

HY
「大人っぽい!」高校を卒業したばかりの仲宗根泉さん(写真右)とHYのメンバー

── お母さんは反対されなかったんですか。

 

仲宗根さん:お母さんは教会の聖歌隊などで歌っていたため、家族バンドに反対しませんでした。お父さんがギターで、弟がベース、私がキーボード。お父さんが歌って、お母さんがハモリを担当する家族バンドがスタートしました。父はピアノが弾けたわけではないので、教え方が荒いんです。「低い音がベースだからそれを左手で。流れるような音がメロディだから、それを右で。両手で一緒に鳴らしたものがコードだ」って。いったいなんのこと?ですよね。しかも全部耳コピで、自分で音を探してやれって…。遊びたい盛りに家族バンドなんて全然、楽しくなかったです。

 

── 楽譜がないとは、すごい無茶振りですね。

 

仲宗根さん:私の音楽人生は耳コピでスタートしました。音を探せと言われても、混ざっている音の中から探さなきゃいけないなんて、もうわけがわからないじゃないですか。それでも、ずっと聞いていると不思議なもので、それぞれの音が徐々にわかれて聞こえてくるんです。小学4年生になると、聞いた曲の耳コピができるようになっていました。

 

── 1年で習得したとはすごすぎます。

 

仲宗根さん:ピアノ教室で習った経験がないので、当時の私は「音楽をする人はみんなこうやって、自分で音を探して弾いているんだ」と思っていたんです。ある日、学校にあったピアノで当時の流行りの曲を弾いてみたら、みんなが集まってきました。それまでの私は、引っ込み思案で自分を出せないタイプ。こんなふうに自分がクラスの話題の中心になることは初めてでした。「この曲好きなんだけど、弾ける?」とみんなから言われて弾いてみると「泉ちゃんすごいね!」と。このあたりから、音楽が楽しいものにようやく変わっていきました。

 

── 仲宗根さんはボーカルも担当されていますが、歌もお父さんから習ったのですか。

 

仲宗根さん:そうです。当時は本当に嫌でした。小学校高学年になって、友達とカラオケに行くようになると、お父さんも必ず一緒についてくるんです(笑)。お父さんは家族には厳しいのですが、外ではおちゃらけたことをする明るい人で、友達からも人気があって。

 

いざ私が歌う順番になると、必ず横に座るんですよ。足の上に手を置いて、感情を込めた歌い方の指導が始まります。だいたいの曲は、サビで盛り上がるように作られていますよね。最初のサビからパーっと大きな声で歌っていたら、足をパチンと叩かれて。後から友達が歌っているときに「何で叩いたかわかるか」と聞かれました。「ここはまだ序盤なのに、最初から感情が全部溢れていたら、後半はどうなるんだ?」と。まるで大人相手のようなことを言うんですよ。お父さんはボイトレをしたことはなく、音楽はただの趣味だったのですが、感情で人に伝える歌い方に関してはものすごく厳しく指導されました。

 

仲宗根泉さんの娘と父親
「素敵な笑顔は遺伝ですね」仲宗根泉さんと娘、父の親子3世代ショット

── 強引さはありますが、仲宗根さんの持ち味となっている、人に伝わる歌の原点となったんですね。

 

仲宗根さん:やり方はスパルタでしたけど、無理矢理にでも音楽に誘ってくれて、習うのではなく自分で考える、唯一無二の自分の引き出し方を教わったんだなって。ドレミの読み方から習うのでは生み出されないものを教えてくれてありがとう、という気持ちが生まれたのはずっと後になってからですね。当時は「なんでお父さんの言う通りにしなきゃならないの」と思っていたんですが、自分で曲を作り始めるようになって、だんだん感謝の気持ちに変わっていきました。

 

── あとになって気づくことってありますよね。

 

仲宗根さん:私は基礎を習っていないので、ピアノを弾く方からしたら指の使い方が違うらしいんですよ。『AM11:00』は、最初にキーボードのイントロから始まるんですが、CDを聞いた人から「イントロの音が飛んでる」とクレームが入って、CDが何枚も返品されたことがあったんです(笑)。でもこれは、CDの音飛びでもなんでもなく、私はあえて抑揚をつけていたんですけどね。やっぱりそれくらい弾き方に癖があるみたいです。

 

歌に関しても、最初にCDを作る際にレコード会社の人たちが「感情の入れ方がすごいね!」と言ってくださって。「お父さんから習ってきたものがようやく役に立ったんだ」と思った瞬間でした。「こんなに怒られながら練習して何になるの」と思っていたことも、大人になって音楽を仕事にしていくうえで、どんどんお父さんが残してくれたものの大きさに気づきました。

 

 

順調に音楽人生を歩む仲宗根さんですが、第二子の妊娠を公表後に、死産の経験があったそうです。産んでまもなく亡くなった息子には「自分が殺してしまった」と責めてしまう日々が続きます。人からかけられる励ましの言葉も「人の傷を深くしてしまう場合がある」と語り、「何か言いたくなるけれど、つらい思いをした人にはただ寄り添ってほしい」と願っていると言います。

 

PROFILE 仲宗根泉さん

なかそね・いずみ。1983年沖縄県生まれ。沖縄を拠点に活動しているバンド「HY」のキーボード&ボーカル。HYは2000年結成。紅一点の仲宗根泉は、ストレートな楽曲と、時には厳しく、時には面白おかしく、個性溢れるキャラクターが男女問わず支持されている。一児の母であり、仕事と家事を両立することの難しさを感じながら、ひとつひとつ向き合いながら歩んでいる彼女のもとには年齢問わず、恋愛相談、人生相談を求める声が多い。HYとしては、バンド結成25周年記念全国ホールツアー開催中。

 

取材・文/内橋明日香 写真提供/仲宗根泉