身体の筋肉が衰えていく難病「遠位型ミオパチー」を抱えながら、YouTubeでの情報発信やアプリ開発など、アクティブに活動する織田友理子さん(45)。障害者の「苦労話をする」より「おもしろいことを発信する」その訳とは?(全3回中の2回)
障害に関係なく「個人」として見られる価値観
── 織田さんは2002年、22歳のときに難病「遠位型ミオパチー」(体幹から遠い部位である手足から全身の筋肉が低下していく進行性の筋疾患)と診断され、2005年に出産された後は車いす生活がスタートしたと伺いました。2010年、30歳のときにデンマークへ留学したとのことですが、どのような経緯があったのでしょうか?

織田さん:「遠位型ミオパチー」にもさまざまなタイプがあり、私のタイプである「空胞型」は日本で400人くらいしか患者がいません。だから医師から「同じ病気の人と会うことはないかもしれない」と言われていました。ところが、ブログなどでオフ会を開催してくれる同病者と知り合う機会があり、少しずつコミュニティができあがりつつありました。
当時、遠位型ミオパチーは国の難病にも指定されていなくて、薬や治療法が確立されていませんでした。でも、患者数が少ない難病だからこそ、患者である私にできることはないかと考えたんです。そこでこの疾患を研究している先生にも協力していただき、発起人の1人として2008年に「PADM遠位型ミオパチー患者会」を立ち上げることになりました。
患者会活動では、難病指定やウルトラオーファンドラッグ(希少疾患の中でも患者が1000人に満たない病気の薬のこと)の開発促進のための制度確立を求め、全国各地で署名活動を展開しました。結果的に204万筆を集めて厚生労働大臣に提出し、2015年に遠位型ミオパチーは指定難病となりました。当時、私の「空胞型」は患者数が少なく、症状などのデータも少なかったので、私の筋肉量の変化などのデータを医師に提供するなど、自然歴調査に協力しました。
さらに、その流れのなかで、尽力してくださった先生から多くのお話を伺うことができました。先生は幅広く神経筋疾患の研究をされていて、1年の3分の1ほど海外に行く世界的に著名な方です。神経筋疾患の患者数が少ないため、世界中の研究者と協議しながら研究を進めているそうです。視野が広いその姿を見て、私は日本のことしか知らないなと思ったんです。もっと世界を見て活動していきたい。留学して、海外の患者団体の活動やバリアフリーや福祉についてなど、さまざまなことを学びたいと思いました。
とはいえ、私は当時仕事をしていなくてボランティア活動ばかりで貯金はわずか。そのうえ、ほとんどの社会人留学支援を調べても、「健康であること」が条件。自分は筋肉の病気だから自覚ないけれど、世間一般には健康ではないのだろうな、車いすユーザーの私にはチャンスがないだろうとあきらめ、横目で見ている感覚でした。
ところがあるとき、「ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業」の存在を知ったんです。障害者が1年間行きたい国に留学でき、奨学金も出る制度があると聞き、挑戦してみようと。申し込むと審査に通り、ヘルパーの資格を取得していた妹のつき添いで半年間、福祉先進国のデンマークを選んで留学することに。デンマークは消費税25%と税率が高い半面、福祉が手厚くて医療費や教育費が無料です。福祉が充実した国がどんな様子なのか、実際に目で見てみたいと思いました。
── 実際にデンマークで暮らしてみて、どのように感じましたか?
織田さん:とても驚いたのは、個人の意思が尊重されていることです。どんなときも「あなたはどうしたいの?」と、必ず聞かれるんです。やりたいのであれば手を貸しますというスタンス。障害者も例外ではありません。

日本で暮らしていた私は「自分の希望」よりも「人に迷惑をかけてはいけないから、不満があっても我慢する」みたいな暗黙のルールが優先されるのが当たり前だと思っていました。デンマークで「どうしたいの?」と、聞かれるたびにとまどいましたが、とても新鮮でした。もちろん、和を尊ぶ日本には日本のよさがあるし、自己主張が強すぎるのは日本人の国民性には合わないかもしれません。でも、デンマークに留学したことで、意識が大きく変わりました。