切迫早産を乗り越えて出産「車いす生活へ」
── 2005年、25歳で結婚、翌年には妊娠されたそうですね。
織田さん:9月に結婚式を挙げて、3~4か月後に妊娠したんです。ただ、妊娠5か月目から切迫早産で5か月ほど入院していました。安静にする必要があり、入院中はじっとしていなければいけません。入院当初は、寝てばかりだと筋肉が衰えていきそうで不安でした。私の病気は全身の筋肉が萎縮していきます。一度弱った筋肉は元に戻らないのではないかと思ったんです。ベッドの上でリハビリをしようとしましたが、安静にしないと赤ちゃんに影響があると医師に止められました。
この先の育児のためにも少しでも筋肉を維持したくて焦っていたのですが、入院1か月くらいのとき、エコー写真に写る赤ちゃんが少しずつ大きくなるのを実感して。「赤ちゃんの命が何よりも大事」と気づいたんです。そこからは静かに過ごしていました。同室の妊婦さんたちとも仲良くなり、楽しい入院生活でした。
妊娠36週4日目、自然分娩で出産しました。産後は思ったよりも進行はしておらず、まだギリギリ自分の足で歩けてはいました。でも安全に移動するためには、赤ちゃんを抱っこひもで抱え、車いすに乗るのがいちばん現実的な方法だと考えました。車いすを使うのはずっと抵抗があったのですが、赤ちゃんの安全のためと気持ちを切り替えることができました。大変なことはたくさんあったけれど、子どもの成長はあっという間ですね。息子は現在18歳になりました。母親である私に障害があることは関係なく、彼は彼のやりたいことを見つけ、自分の人生を歩んでいってほしいです。

現在の私は首から下が動きません。子育てをしながら、私は遠位型ミオパチーの患者会の立ち上げ、デンマークへの留学、みんなでつくるバリアフリーマップ「WheeLog!(ウィーログ)」の開発運営など、さまざまな挑戦をしてきました。
── 驚くほどたくさんの活動をされているのですね。織田さんのエネルギーの源を教えてください。
織田さん:「人のため、社会のために行動したい」というのが私の原動力です。障害を持っている人はもちろん、やりたいことがあっても希望がかなわない人がいるのなら、現状を変えていく必要があると思います。こうした私の思いに共感してくれる人が増え、現在はたくさんの人が協力してくれています。生活全般をサポートしてくれる夫をはじめとして、私は本当に人に恵まれているなと感謝しています。ただ、「私は恵まれている」で終わらせたくなくて。私と同じ、重度障害者の人たちが「あきらめなくていい」社会を作りたいんです。そのために全力で走り続けるつもりです。
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障害者だからといって、苦労話や悲しい話ばかりではない。そのことを示そうと、SNSで情報を発信してきた織田さん。さらに、バリアフリーマップの開発に挑みます。いまやユーザーは約3万人、アプリは10万ダウンロードに達したそうです。
PROFILE 織田友理子さん
おだ・ゆりこ。遠位型ミオパチーにより電動車椅子を利用する中途障害者。一児の母。国内外を車椅子で多数実地調査。2008年に遠位型ミオパチーの患者会「PADM」を設立し、2015年代表に就任。「車椅子ウォーカー」代表。「NPO法人ウィーログ」代表。株式会社インターアクション(プライム上場)社外取締役。国土交通省 高齢者、障害者等の円滑な移動等に配慮した建築設計標準に関するフォローアップ会議委員。東京都福祉のまちづくり推進協議会委員。
取材・文/齋田多恵 写真提供/織田友理子