「ハイヒールだと転びやすくなって」と、感じたある日。身体の違和感を覚えた織田友理子さんが病院で告げられたのは、進行性の筋疾患「遠位型ミオパチー」でした。彼氏に別れを告げるも、意外な言葉が返ってきます。(全3回中の1回)

病院で聞いたこともない難病を告げられて

── 織田さんは2002年、22歳のときに「遠位型ミオパチー(体幹から遠い部位である手足から全身の筋肉が低下していく進行性の筋疾患。20~30代で発症することが多い)」と診断されたと伺いました。症状を自覚したのはいつごろだったのでしょうか?

 

織田友理子

織田さん:最初に違和感を抱いたのは、大学生になってからです。おしゃれを楽しもうとハイヒールを履き始めたのですが、だんだん転びやすくなり、フラットシューズしか履けなくなりました。大学4年生のとき、驚くほど足がおぼつかなくなっていることに気づき、「これは本当におかしい」と思うようになって…。

 

なんだか筋肉が衰えていく感じで、手すりに頼らなくては階段をのぼれないほど。最初は運動不足なのかもしれないと思いました。でも、積極的に身体を動かしても改善しません。親に心配をかけたくなくて、病院にこっそり行ってみようかなどと考えていました。あるとき「足が細くなってきているよ。そこまで筋肉が落ちるのはおかしい。病院に行ってきなさい」と、父親から指摘を受けました。客観的に見ても気になる状態だったようです。

 

私はたまたま専門の先生に出会えて、はじめて病院に行ってから約1~2か月後には確定診断を受けました。「遠位型ミオパチー」もいろいろなタイプがあるのですが、私のタイプである「空胞型」は日本で400人くらいしか患者がいない希少疾患です。この疾患のことを知らない医師が多く、確定診断されるまでに非常に時間がかかると言われています。ほかの疾患と誤診される場合もあり、私のように短期間で診断されるのは珍しいようです。

 

織田友理子
日本各地で講演し、バリアフリーへの理解を進めている

──「遠位型ミオパチー」は身体が徐々に動かなくなる疾患だそうです。診断されたとき、どのように思いましたか?

 

織田さん:「病気になってつらい」というより「私は病気だったんだ」と、ホッとしました。この先、病気が進行するかもしれない絶望感より、安心感のほうが大きかったです。ネットで調べると、筋肉や神経内科系の疾患は原因がわからないまま進行していく場合もあるらしいんです。でも、私はちゃんと病名がわかった。つまり、世界のどこかに、この疾患について研究している先生がいるということ。だから病名がわかるぶん、見放されたわけではないと思えたんです。診断した先生も「この病気はまだ治療方法がありません。でも、研究している先生はいます。希望は失わないでください」と言ってくれました。私はひとりではないんだと、本当に感謝の思いでいっぱいでした。

「一緒に生きていきたい」と言われ25歳で結婚

── 当時、現在の夫である洋一さんとは、すでにおつき合いされていたそうですね。

 

織田さん:夫とは20歳のときからつき合っていました。診断を受けて、私から何度も「別れよう」と強く言っていたんです。彼の人生を私の闘病生活で縛りたくなかったし、同情でつき合ってもらうのもイヤだったので。でも、彼は「別れない」とずっと言い続けていました。

 

彼と結婚したのは25歳のときです。きっかけは24歳のとき、彼が通院につき添ってくれたことでした。診察に彼も同席してくれていたのですが、主治医の先生から「洋一さんはちょっと席を外してくれる?」と言われました。彼が診察室を出ると、「今後、病気が進行して筋肉が衰えていくと、出産が難しくなるかもしれません。結婚や出産を考えているなら、できるだけ早いほうがいい」と、先生から伝えられました。私の将来を考えて言ってくれたのは理解しているものの、すごくショックで…。診察室を出たら泣き崩れてしまいました。彼に伝えるべきか、どう伝えようか悩みましたが、意を決して伝えると、返事は「じゃあ、いますぐ結婚だね」でした。

 

織田友理子と夫
2005年、夫・洋一さんと結婚式の様子

── 洋一さんの反応を見て、織田さんはどのように感じましたか?

 

織田さん:「この人は何を言っているの?」と、理解できませんでした。この先、身体が動かなくなる私と、人生を歩むのはどれだけ大変なのかわかっているのかなと。もし、出産のために結婚をするつもりだとしたら、それはまた何かが違う気がしました。だから「ブライダルチェック(妊娠や出産を希望する女性が受ける健康診断)を受けて、もし不妊の可能性があったら結婚はやめよう」と、提案しました。すると彼は「子どもを授かるかどうかではなくて、人生のパートナーとして一緒に生きていきたい。だからブライダルチェックは受けない」と言うんです。彼の覚悟が伝わり、私も彼と一緒に生きようと決意しました。

 

彼は私との結婚について、ご両親や親せき、一人ひとりに説明して回りました。驚いたことに、誰からも結婚に反対されませんでした。いまでも心に残っているのですが、彼のお母さんが「病気は誰だってかかる可能性がある。結婚したときは健康でも、その後どうなるかわからないでしょう。友理子さんはたまたま、いま、病気がわかっているだけ。ふたりで頑張りなさい」と言ってくれて。素晴らしいご家族だと思いました。夫の決断をあと押ししてくれたご家族には本当に感謝しています。