今年1月、モーニング娘。の妹分としてデビューしたメロン記念日が再結成されることが発表され、話題となりました。グループのリーダーであり、セクシー担当として人気を博した斉藤瞳さん(43)。解散した当時の最終学歴は高校中退で、どう生きていくかを悩んだ時期があったそうです。(全2回中の1回)
松浦亜弥や後藤真希と比べられ劣等感を抱えたアイドル時代
── いつごろからアイドルになりたいと思っていたのでしょうか?
斉藤さん:最初に好きになったアイドルはCoCoでした。そこからSPEEDやMAX、安室奈美恵さんに興味を持ち、女性アイドルグループに漠然とした憧れを抱くようになりました。高校生のときに買った「モーニング娘。」のCDのなかに、オーディションの告知が封入されていたんです。1回目のオーディションは落ちてしまったのですが、2回目のオーディションで合格して、デビューが決まりました。応募数約4000人から合格したのはたった4名だったので、ラッキーだったと思います。

── オーディションに合格したときは、周りはどのような反応でしたか?
斉藤さん:周りからは反対の声が強かったです。「芸能界に入りたい」という夢をバカにされたこともありました。高校の進路面談でも担任の先生は「芸能界なんてやめなさい」と。上京したときは、覚悟があったというより「アイドルをやりたい」という熱意だけでした。今になって思うと、高校を中退して上京した私を、快く送り出してくれた両親のほうがすごいです。
── モーニング娘。の妹分として華々しくデビューされました。
斉藤さん:当時、モーニング娘。は『LOVEマシーン』が大ヒットしている最中でした。同じようなノリのいい曲を歌うつもりでいたら、デビュー曲は大人っぽいミディアムナンバー。つんく♂さんにプロデュースしていただいたのに、まったく売れなくて…。グループの解散危機を早々に突きつけられました。グループの方向性を再検討したときに、全員同じ衣装ではなくて、メンバーの個性を出していくことになったんです。そこから私は「セクシー担当」になって。
── 当時は20歳。セクシー担当というポジションに戸惑いは感じませんでしたか?
斉藤さん:かわいいアイドルに憧れていたので(笑)、そういうのをやりたい気持ちもありました。でも自分の得意分野を模索した結果、セクシー路線を極めようと決意したんです。でも、極めすぎちゃって、どんどん過激なほうに進んだかもしれません(笑)。大人になってからは、肌を露出することだけがセクシーではないってわかってきましたが。
── アイドルグループの担当制は、今では当たり前になりましたよね。
斉藤さん:そうなんです。握手会を導入したのも早くて。今になって再評価されているようです。ロックな曲調にチャレンジしていたので、ロックバンドのライブで起こるようなダイブとか、激しいパフォーマンスも。今でこそ激しい曲調を持ち歌にするアイドルもいますが、メロン記念日は時代の先を行きすぎていましたね(笑)。だから、大ブレイクしなかったのかもしれません。
── 当時は先輩アイドルとコンサートでの共演も多かったと思います。
斉藤さん:モーニング娘。や松浦亜弥さん、後藤真希さんの存在が大きすぎて。一緒にコンサートで回っていると、自分たちの思い描いていた理想と現実がかけ離れていて、悔しかったです。彼女たちのほうが年下だったけれど、ヒット曲を連発していましたからね。私たちがステージに立つ出番になると、トイレタイムとばかりに席を立つお客さんもいて、悔しくて悔しくて。結局、単独ライブが実現するまで2年半ほどかかりました。
アイドルから保育園勤務に。1度目の結婚から学んだこと
── 順風満帆に見えたアイドル活動ですが、解散に至った理由は…?
斉藤さん:デビュー以来10年間、メンバーチェンジなく走りきることができました。それが実現できた今が有終の美を飾るタイミングなんじゃないかって判断したんです。これから先、メンバーがそれぞれ別の未来に向かっていくことで分散するよりは、グループとしてのストーリーを完結させたいという思いが強かった気がします。
── 解散後は、芸能界を引退されています。
斉藤さん:グループを解散してから、最初の結婚をしました。その後、1年ほどは東京で過ごし、アイドルの次に憧れていた保育士として働いていて。保育士の資格はなかったのですが、アルバイトで働くことができたので、保育園で働かせてもらっていました。
── アイドルから保育士!まったく違う業界への転職ですね。
斉藤さん:たしかにアイドル時代とはまるっきり違う生活でしたが、大好きな子どもとふれ合うことができて楽しかったんです。でも1年ほどで離婚し、新潟に戻ることになりました。離婚後、そのまま東京にいられる精神力も体力も経済力もなくて。
── 約1年の結婚生活でしたが、離婚を決意されたきっかけはありましたか。
斉藤さん:意外かもしれませんが、私、けっこう硬派で。「1度結婚したら、絶対に離婚しちゃいけない」って思いこんでいたんです。大好きなおばあちゃんに「親にもらった身体に穴を開けるのはよくない」と言われたから、ピアス穴も開けていませんし(笑)。それと同じ感覚で、「好きな人と結婚したのだから、つらくても耐えるしかない」って思っていました。そんな私に、家族や友達が「もう離婚してもいいんじゃない?」と言ってくれて決心できました。
たしかに1年という結婚生活は短かったかもしれません。でも、私なりに一生懸命、恋をしたし、彼のことを支えようと頑張った。結果的にお別れという形になってしまったけれど、私の人生に大切な経験が刻まれたと思っています。