店舗開業「給料を下げさせて…」社員に詫びると

しかし苦難は続きます。店をオープンして2週間、客足が鈍かったのです。

 

「やっと開店までこぎつけたものの、お客さんが来てくれなければどうしようもない。不安でしたし、へこみました。でも、一緒に店に立っているかみさんの前では、そんな様子は見せられません。『大丈夫、大丈夫、想定の範囲内だから』と強がっていた。当時はまだ有線放送がなく、カセットレコーダーを置いて音楽を流していたんですけど、閑古鳥が鳴いているときに、B'zの『ALONE』が流れてね。いまでもこの曲を聞くと、そのころのつらい思いがこみ上げてきて、胸がグッと苦しくなるんです」

 

秋葉弘道
23歳のときに東京・練馬区関町でスーパー「アキダイ」を開業

天職だったはずの八百屋の仕事を苦痛に感じはじめ、いつしか店をやめる理由を考えるようになっていったという秋葉さん。「店が火事になれば…」と妄想を抱くまで思いつめるなか、決断します。「よし、1年間だけ精一杯頑張ってみよう。その結果、店をたたむことになっても、応援してくれた人に説明できるし、自分でも納得してあきらめられる」と。

 

「店の前を路線バスが毎日通るんですけど、その乗客に向けて『大根1本10円』と書いた段ボールを掲げて安さをアピールするなど、それから何でもやりました。店ではお客さんが来なくても『いらっしゃいませ』と、ずっと言い続けました。お客さんが来てくれたときは誠心誠意の接客を心がけ、商品がカゴに入るたびに『認めてもらえた。ありがとうございます!』と胸の内で感謝を忘れない。すると、お客さんが家族や友達を連れてくるなど、口コミで輪が広がっていったんです。路線バスへのアピールの甲斐もあり、店から遠い停留所に住むお客さんがわざわざ足を運んでくれたりして。見ている人は見ていて、応えてくれる。もう感謝しかなかったですよ」

 

努力が実を結び、1年後には繁盛店に。2号店、3号店と店舗を拡大していくなか、再び壁にぶち当たります。

 

「資金繰りに窮してしまって。店舗が増えると商品の仕入れや人件費など、かかるお金が膨らんでいきます。自転車操業でやりくりしていたんですけど、いよいよ月の支払いに困る事態に…。そこであるとき、従業員全員を集め、『給料を下げさせてほしい』と頭を下げたんです。経営者として情けないのと、社員のみんなに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。ところが、社員たちの反応は予想外のもので。『アキさんひとりにそんな思いをさせちゃってすみませんでした。みんなで乗り越えていきましょう』と、逆に激励されたんです。涙出ましたね」

 

じつは社員とはもともと良好な関係ではなかったそうです。うまくいかず悩んだ時期もあったとか。

 

「このままではダメだと思い、腹を割って本音をぶつけたらうまくいくようになりました。いま思えば、僕が社員たちを信用できていなかったのでしょう」

 

その後、窮地を乗り越えたアキダイはスーパーに加え、飲食店など全12店舗に拡大。従業員200人以上、年商40億円以上のグループへと成長しました。そして2023年3月、スーパーチェーン「ロピア」を展開するOICグループの仲間入り。同グループに対し、秋葉さんが所有するアキダイの全株式を譲渡したM&Aの形です。

 

「これまで何度も断ってきたM&Aのオファーを今回は受け入れました。ロピアの髙木勇輔代表から『アキダイはアキダイのままでいいので、うちに来ませんか?』と言われたからです。実際、アキダイの社長職を継続し、OICグループの青果アドバイザーも任されています。アキダイの店や社員たちの立場は何ら変わっていません。ファミリーである社員たちに支えられてきたのと、お客さんの深い愛があってこそアキダイは長年やってこられたので、その場所をなくすなんて考えられない。思い通りになり、僕はアキダイのPBブランドを育てるとか、アキダイの売上げを100億円にしようとか、新たな目標にまい進していますし、若い社員たちも目を輝かせて仕事に取り組んでいます」

 

 

タレントでも役者でもない秋葉さんですが、実は昨年、テレビに350回以上も登場したといいます。しかもすべてノーギャラ。その理由は、「青果業界の今」を伝えることへの「使命感」だそうです。

 

PROFILE 秋葉弘道さん

あきば・ひろみち。アキダイ社長。1968年生まれ。1992年、スーパー「アキダイ」創業。青果のほか精肉や鮮魚、一般食品も扱う。現在、飲食店など含め全12店舗を経営。2023年3月、OICグループの傘下となる。

 

取材・文/百瀬康司 写真提供/秋葉弘道