スーパーの店長として日本一有名といっても過言ではない、スーパー「アキダイ」社長の秋葉弘道さん。高校時代のバイトから始まり、一代でお店を大きく育て上げるまでは山あり谷ありの道のり。名物社長の半生に迫ります。(全2回中の1回)
口下手を克服しようと始めた八百屋でのアルバイト
「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ、今日はめちゃくちゃ新鮮なトマトやナス、キュウリなんかが入ったから、見てってください」

東京・練馬の「スーパーアキダイ」関町本店。店主の秋葉弘道さんは店頭に立ち、威勢のいい声を響かせます。お店に行ったことがない人でも、ニュース番組でよく見かけるあの姿、あの声です。しかし、意外にも、子どものころは口下手だったといいます。
「想像以上にひどいレベルですよ。小学校のときは発言しようとしても『えっと、うんと』ばかりで言葉がうまく出てこない。4年生のときの担任は優しくて『秋葉くんの言いたいことはこういうことだよね』と、代弁してくれていました。ところが、5年時は担任が体育会系の先生に変わり、そうはいかなくなって。『お前は何を言っているからわからないから、もう発言しなくていい』と。みんなに笑われたことがトラウマとなり、人前で話すのが極度に苦手になってしまったんです」

ふだんは暴れん坊で、中学では野球部に入り、ベンチから大きな声出しをする毎日を過ごします。でも、授業になると一転して口ごもり、みずから発言することができません。そんな自分を変えようと、秋葉さんは高校時代に2つの挑戦を始めます。ひとつは生徒会活動で、副会長から最後は会長まで歴任します。もうひとつが八百屋のアルバイトでした。
「話すのが苦手なことにフタをしたままだと何も変わりません。生徒会も八百屋のバイトも、人前に出てしゃべらなきゃいけないでしょう。そういった環境に自分をあえて置く、荒療治をやったわけです。当然、最初からうまくなんかいかない。失敗の連続でへなちょこでしたけど、そうした取り組みがあったからこそ、いまがあるわけですよ」
場数を踏むことで、八百屋の仕事が次第に楽しくなっていったという秋葉さん。そして、商売の才能の片りんを見せるできごとが。店長から桃のケース販売を任され、通常1日あたり80箱程度しか売れないところを、最高で150箱売りさばいたのです。
「『天才桃売り少年、ピーチボーイズ』って言われるほど、桃売りがうまかったんです(笑)。数学が得意だったから、仕入れ値と儲けを見込む金額を聞き、売値をパッと計算。ある人はその売値を安くして少ない利益、ある人は高くして多い利益と、お客さんに喜んでもらうことを前提に駆け引きしながら、仕入れた桃のケースを全部さばくことができた。売り切ったときはものすごい達成感でしたよ」
「食事の時間がもったいない」お昼はおにぎり1個
高校卒業後は、実家の近くにあった一部上場の電機メーカーに就職。しかし、1年半余りで退職してしまいます。
「ひと言でいえば、物たりなかったんでしょう。とてもいい会社で、職場の人にもよくしてもらいました。でも、仕事を淡々とこなし、代わり映えしない生活に違和感を覚えるようになって…。八百屋で働いていたバイト時代のほうが、季節ごとの品物や接客など日々変化があり、自分がイキイキと輝いている気がしたんです」
退職後はバイト先の八百屋に戻って、正社員として仕入れから販売まで、商売のイロハを学ぼうと、がむしゃらに働いたそうです。
「店では先輩たち、青果市場に行けば仲卸業者の方に話を聞き、青果の目利きや価格交渉の方法などを会得しようと必死でした。昼食用に持参するのは母親に作ってもらった、大きなおにぎりひとつ。食事をしている時間がもったいないからです。結婚を機に、自分の店を出したいと考えるようになってからは、財布に入れていくお金は、当時は100円玉一枚だけ。お金を貯めるために、ジュースを買うかどうか迷う日々でしたね」
こうして23歳のときに冒頭の練馬の地でスーパーアキダイを創業。地元ではない場所に運よく空きテナントをみつけ、交渉の末、念願の第一歩を踏み出しました。