「口唇口蓋裂(こうしんこうがいれつ)」という先天性の病を持って生まれた、お笑いコンビ・パーパーのほしのディスコさん。見た目にも症状が表れるため、つらい思いをすることもあったそうです。そんな日々の唯一の救いは──。(全4回中の2回)
「僕、何か変だな」自分の存在に気づかれないよう影を潜めて
── 口唇口蓋裂は、見た目にも症状が表れるそうですね。
ほしのさん:はい。自分でも「僕、何か変だな」と感じて、つらくなることがありました。ただ、僕は小さな村の出身で、幼稚園から中学校までは同じメンバーでずっと過ごしていて、「全員が親友」のような感じだったんです。そのなかでは普通に過ごせていました。ですが、年齢を重ねるにつれて、周りの目が気になるようになって。初対面の人と接するときや、知らない人ばかりの場所に出かけるのが本当に怖かった…。僕の存在に気づかれないために「なるべくしゃべらないようにしよう」と意識したり、影をひそめることにとにかく必死でした。

── 実際に、イヤな言葉や態度で接してくる人もいたのでしょうか。
ほしのさん:はい。たとえば、小学生くらいのころに少し離れた街のショッピングモールに母と出かけたとき、見知らぬ小さな子に追いかけられたことがありました。おそらく僕の顔を見て変だと思ったのだと思います。当時は、できるだけ人を巻き込まず自分でどうにかしたいという気持ちがあって、どうにか母に気づかれないように、必死でその子から逃げたことを覚えています。
また、高校受験では他校の生徒がたくさん同じ会場にいて、彼らが休み時間に僕を見に来て「変な顔のヤツがいる」と、廊下で笑っていたのが見えたんです。そのとき、「高校に入ってもこういうことが一生続くんだろうな…」と思って、絶望したというか…。
「人生ただしんどいだけ」居場所があったことが唯一の救い
── たくさんつらい思いをされたのですね…。そういうときに相談できる人はいましたか?
ほしのさん:いや、いなかったですね。唯一、母が話せる存在だということはわかっていましたが、相談はしませんでした。
── それは、どうしてですか?
ほしのさん:どこかで「相談しても変わらない」と悟っていたんだと思います。「大丈夫だよ」という言葉をもらっても、僕が病気であるという事実は何も変わらないので。小学校の中学年くらいのころから「誰かに話しても意味がないし、人生ってただしんどいだけだな」と思い始めていました。「イヤな思いをするのは自分だけの問題で、仲間もいないし…」みたいな感じで。今みたいにSNSがない時代だったので、同じ病気の人と出会うこともなかったですし。

── そういう気持ちを抱えているなかで、それを解消する手立てはあったのでしょうか。それとも、ただ耐えていたのでしょうか。
ほしのさん:そうですね。耐えるしかなかったです。なので、そもそもイヤな思いをしないように、いかに自分の存在を消すかということばかり考えていました。でも、ありがたいことに、幼いときから仲良くしてくれていた人の前では、「普段の自分」が出せていました。発散とまではいかなくとも「普通に暮らせる場所」があったことが、唯一の救いだったのかなと思います。