80年大阪に住んだ母を東京に呼ぶために

松嶋尚美
ピンク色の髪色が素敵

── お母さんは80年以上大阪で暮らしてきたそうですが、東京で同居することにすぐに同意されましたか?

 

松嶋さん:簡単にはいかないだろうと思って、まずは私が1人で大阪まで行って、母を東京まで連れてきて、夜は家族とお寿司を食べながら少しずつ話をするつもりでした。でも、ひとしきり夕ご飯を食べると「なんか楽しかったわ!じゃ、寝るわ」と言ってその晩は寝てしまいました。その後、1週間ほど滞在しましたが同居の話をするタイミングを逃してしまい、大阪に帰って行ったんです。1週間後、やはり母と姪のソリが合わず、再度東京に来てもらって、そのときは1か月くらいいたのかな。改めて私たちとの同居について話をすると、なんとなく納得してもらえて、母の気が変わらないうちに、早々に同居の準備を進めました。これで私、夫、息子、娘に母の5人で一緒に暮らすことに。妹が倒れてから3か月後くらいだったと思います。

 

── お母さんと同居をはじめて、どんなことを思いましたか?

 

松嶋さん:まず、ずっと妹に母の介護を任せてきたので、母の状態がまったくわかりませんでした。両膝を手術して足が少し不自由なのは知っていますが、日常の動作は何ができて何ができないのか。また、妹が残してくれたメモによって、膝以外にも、ラクナ梗塞、軽度の糖尿病、心房細胞の3つを患っていたことがわかりましたが、薬の管理はどうしているのか。それぞれ違う病院で診てもらっているようだけど、病院や薬局ごとに薬の情報は共有できているのかとかがわからず。ほかにも、銀行のカードの保管や変な借金がないか。毎月の引き落とし、どこでどんな契約をしているかも知らなかったし、とにかくわからないことだらけでしたね。

 

── 介護に関しては、ケアマネージャーは介入されましたか?

 

松嶋さん:大阪でケアマネージャーさんがついていたので、東京でも同じ方が担当されるのかと思っていたら違うんですね。私が介護ベッドや手すりなど、介護用品の事業者にレンタルを依頼すると「ケアマネージャーさんは居ますか?」と聞かれて、そこで大阪のケアマネージャーさんではなく、東京でケアマネジャーさんを探す必要があると知りました。

 

その後、新たなケアマネージャーさんが自宅に来ると「週に何度か家に来てくれる訪問看護を希望しますか」「デイサービスはどうしますか?」といろいろ話を進めてくださって、ずいぶん助かりましたね。デイサービスもお試しで1回行ってみたらすごく楽しかったようで、今は週5回、2か所のデイサービスに通っています。

 

 

母との同居生活が始まったものの、住宅環境は介護に適しておらず、予想外の事態に。不慣れな介護で気負いすぎてしまったのか、ケアマネージャーから「手伝いすぎです!」と言われたことも。初めての介護生活は驚くことが多かったそうです。

 

PROFILE 松嶋尚美さん

まつしま・なほみ。1971年生まれ。大阪府出身。93年お笑いコンビ・オセロとして活動。08年に結婚し、11年に長男、13年に長女を出産して2児の母。13年コンビ解散後もソロとして活躍中。

 

取材・文/松永怜 写真提供/松嶋尚美