両親が亡くなって孤独感に襲われることも
── 渡辺さんのブログには、介護施設で暮らすご両親がたびたび登場されていました。
渡辺さん:両親は山形の施設にいたので、私が直接、介護していたわけではありませんでしたが、月に1度は東京から必ず会いに行っていましたし、弟夫婦もたびたび施設に通って両親の世話をしてくれていました。もともと両親は、私が演劇の道に進むことには大反対だったんです。反対を押しきって上京した以上、とにかく演劇で認められて成功しないと両親が浮かばれないと思って、これまで必死に走り続けてきました。2人とも、私の芝居をいつも楽しみにしていて、公演があるときは東京まで必ず観に来てくれたんです。
そんな両親が2人ともいなくなって、とうとうひとりぼっちになってしまった。私は離婚して独り身ですし、子どもはいないので、家に戻ると「何のために頑張っているんだろう…」と、ふと孤独感に襲われることもあります。何気ないおしゃべりをしたり、めんどうを見たりする家族がいないのは、やっぱり寂しいです。周りは子どもや孫がいたりしますからね。だから、子どもがいて、役者としても活躍している女性を見ると「羨ましいな…」という気持ちもあります。もちろん仕事をしているときは集中しているので、そんなことを考える余裕なんてないのですけれど。
ただ、大勢の人たちと一緒に芝居をしたときほど、家に帰ってひとりになると、孤独感が押し寄せてきて寂しくなります。
── 楽しくにぎやかな時間を過ごすほど、ひとりになったときに無性に寂しくなるというのは、わかる気がします…。以前、とあるインタビューで「将来は仲間とシェアハウスもいいかもしれない」とおっしゃっていて、楽しそうな未来だなと。
渡辺さん:以前は、「将来は、芝居好きな仲間たちとのシェアハウスも楽しそうだな」と考えていたのですが、少し気持ちが変わり、あまり歳がいってから老人同士で住むのは、なかなか難しいかもしれないなと思うようになりました。ですから、もしもシェアハウスをするとしたら、自分の身の回りのことが、そこそこできる元気なうちにやるほうがいいかもしれません。そうじゃないと、お互いに大変そうですものね。
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両親との別れを経験した渡辺えりさんは故郷を離れ過ごすなか、孤独を感じなかったのは愛すべき猫や犬の存在がありました。しかし、長く同じ屋根の下で過ごしたペットたちにも寿命が来て…このときも、受け入れるのには時間がかかったと明かしてくれました。
PROFILE 渡辺えりさん
わたなべ・えり。1955年、山形県生まれ。「オフィス3○○」主宰。1983年、『ゲゲゲのげ』で岸田國士戯曲賞を受賞。以来、現在に至るまで、舞台や映画、テレビ、歌、戯曲やエッセイ執筆など、幅広く活躍。主演公演『唐十郎追悼公演「少女仮面」』(6月11日〜22日・下北沢スズナリ)、『70祭 渡辺えりコンサート ここまでやるのなんでだろ?』(12月20日・21日・池袋プレイハウス)が開催予定。
取材・文/西尾英子 写真提供/渡辺えり