介護施設の難しさと温かさを知った16年間

── お母さんは、長く認知症を患っていらしたそうですね。

 

渡辺さん:78歳のときに認知症になったので、16年ぐらいですね。最初は症状が軽かったのですが、だんだんと進み、目の前にいる私が誰だかわからないことも。でも、私についての記憶は残っているんですよね。母に会いに行って、私が帰るときは子どものように泣き出したり。そうした母とのやりとりを戯曲に書き、今年の1月に『鯨よ!私の手に乗れ』というお芝居を上演しました。母が入所していた介護施設でのエピソードをもとにしたもので、劇中のやりとりやセリフは、ほぼ実話です。母の役をやってくださった三田和代さんが襟に巻いているマフラーも、認知症の母が介護施設から私に送ってくれた手作りのものでした。

 

うちは両親とも認知症になり、施設にお世話になりましたが、介護の在り方については、思うところがいろいろあり、施設も何度か変えました。

 

渡辺えりの両親
渡辺えりさんのご両親と愛犬の貴重な3ショット

── たとえば、どういったことでしょうか。

 

渡辺さん:介護の現場は人手不足で大変なので、お世話がしやすいようにと、入居者はみんな髪を短く切られ、同じような身なりにされたりします。そうしないと手が回らないのでしかたがないとはいえ、規則で縛られすぎると、「その人らしさ」をなくしてしまう気がして。最初の施設では、私の芝居のポスターやアルバム、持っていったカーペットやこたつが取り上げられ、部屋がどんどん無機質になっていきました。会いに行くたびに「母ちゃんらしさ」を失っていく様子がショックでしたね。

 

私が施設のスタッフに不満を訴えかけていたら、それを見た母が、オロオロして泣きながら謝り、「この子は、子どももいなくてかわいそうな子なんです。私が死んだあとも、この子がここで暮らせるようにしてください。お願いします」と言うんです。それがやるせなくて…。そこで、施設を変えたところ、症状が少しよくなった気がしたのですが、今度は、24時間体制になるから薬を飲ませて大人しくさせることを提案されて…。それには反対だったので、再び施設を変え、父も一緒にそこに入りました。

 

その施設では、皆さんにすごくよくしていただきました。両親が亡くなったときには、泣いてくださって。最後にたどり着いた施設では、温かい人たちに恵まれ、熱心にお世話をしてもらって、両親は喜んでいたんじゃないかなと思います。スタッフの皆さんには、感謝の気持ちでいっぱいです。