震災のトラウマは正直、今でもある
── 避難先でも福島や原発の情報を、メディアなどを通して見たり、聞いたりしていたと思います。慣れない土地での生活が続くなかで「福島に戻れるのか」「もうバドミントンができないのではないか」と不安になったのではないでしょうか。
大堀さん:テレビなどで福島が見たことのない姿に変わっていく姿を見たときは、「もう戻れないかもしれない」と正直、思いました。このまま戻れなかったらバドミントンはやらない…できないとも考えていて。どこで学校に通うか、両親と新たな拠点を少しずつ考え始めていました。もし学校(富岡第一中)が再開していなかったら、バドミントンを続けていなかったかもしれません。
だからこそ、5月に福島・猪苗代町にサテライト校が設置されることを聞いたときには、チームメイトのみんなと会える、また一緒にバドミントンができるとすごくうれしかった。ただその反面、本当に戻っても大丈夫なんだろうかという半信半疑なところもありました。
── 原発の影響がないのか、それが心配だったのでしょうか。
大堀さん:実は東日本大震災の2週間前に学校で放射線の授業があったんです。どれくらい放射線を浴びると体に害がある…とかを学んだばかりで。多少なりとも知識があったので富岡町じゃないとはいえ、猪苗代も同じ福島県内。本当に戻って大丈夫なの!?という気持ちでした。
震災のトラウマは正直、今でもあると思います。津波の映像は見られないですし、映るとチャンネルを変えたり、目を背けてしまいますね。スマホの緊急地震速報の音も大嫌い。昨年1月に能登の地震のときもけたたましい音が鳴り響きましたが、心臓を突き刺さるような「あの音」は、聞いているだけで心が苦しくなってしまいます。
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震災のトラウマを抱えながら競技への復帰を果たした大堀さん。高校2年時に出場したアジアユースU19オープン選手権の女子シングルスでは日本人初優勝し、卒業後はプロ入りを果たします。ただ、現役時代は成績が伴わないことで引退を何度も考えたことがあったそう。それでも夢を諦めず、悲願のパリ五輪の出場の切符を掴んだ背景には、震災を経て芽生えた故郷・福島への想いがあったと明かしてくれました。
PROFILE 大堀 彩さん
おおほり・あや。1996年10月2日福島県生まれ。小学1年からバドミントンを始める。バドミントンの強豪、福島の富岡第一中を経て、富岡高に。2年次にはアジアユース選手権で日本勢初優勝を果たした。高校卒業後の2015年にNTT東日本に入社し、16年にトナミ運輸に移籍。全日本総合選手権では3度準優勝。昨年はパリ五輪に出場し、12月末で現役を退いた。
取材・文/石井宏美 写真提供/大堀彩