東日本大震災では、岩手県の大槌町や大船渡市など沿岸部を大津波が襲い、多くの命が奪われました。当時32歳だった助産師の佐藤美代子さんは、生後5か月と3歳の幼い子どもと一緒に被災。それでも沿岸部の妊産婦たちを支え続けました。なかには印象に残る出会いがあったといいます。(全2回中の2回)

幼子2人を抱えて被災するも、妊産婦を支援する側に

── 2011年3月11日の東日本大震災の際、佐藤さんは花巻市のご自宅で生後5か月と3歳のお子さん、3人で被災されたと聞きました。ご自身も大変な状況だったのに、12日後には沿岸部から搬送された妊産婦さんのケアのボランティア活動を始めたそうですね。

 

佐藤さん:はい。助産師仲間や医療従事者たちとのメールで、大槌町など沿岸部が大津波で壊滅状態にあると知ったんです。ただ、自分たちも被災していたし、当時私は産後5か月だったので、「赤ちゃんがいる人は動かないように」と言われました。それでも、「沿岸部から内陸部に搬送されてくる妊産婦さんを助けよう」という声が上がり、私も力になりたかったんです。3月23日からは被災妊産婦受け入れ事業を花巻市で立ち上げて、沿岸部から運ばれてくる妊産婦さんを受け入れ、産前産後を安心して過ごせるように支援することに。5か月の娘をおんぶし、3歳の息子の手を引いて動き回っていました。

 

震災後、佐藤さん(左から2番目)は医師や助産師たちと何度も話し合いながら、妊産婦の産前産後を守る支援をつくっていった

── 被災妊産婦受け入れ事業ではどんな支援をしていたのですか?

 

佐藤さん:災害救助法による避難所として、罹災証明を持っている方たちを対象に、特定の受け入れ場所が作られたんです。24時間、妊産婦さんの支援が必要なくなるまで食事や就寝場所、入浴などを提供するなかで、私たちは、ボランティアで妊産婦さんたちの話を聴いたり、赤ちゃんの入浴やおむつ替えを手伝ったりしていました。

「当時の記憶がない」自分の身体はあと回しだった

── 佐藤さんご自身の体調は大丈夫だったのでしょうか。

 

佐藤さん:私が活動した被災妊産婦受け入れ事業はその年の3月から9月まで行われたのですが、「なんとか助けたい」と無我夢中で、自分の身体はあと回しだったように思います。その間の記憶があまりないんです。

 

佐藤美代子さん
佐藤さん(右から2番目)は、震災後、3歳の長男と生後5か月の長女を連れて産前産後の女性たちを支えた

4月1日からは娘が保育園に入園する予定だったので、子どもたちは日中を保育園で過ごしていましたが、私は自分が開業した助産院と産婦人科でのパートタイムに加え、保健センターでは赤ちゃん訪問をして、空いている時間に被災妊産婦受け入れ事業のボランティア活動をしていました。遠方に行く際は乳飲み子の娘を連れていきましたね。ほぼ毎日、夜中までメールでやりとりをし、合間に授乳もして。自分でも「本当によくやったなあ」と思います。