FMのパーソナリティーをつとめる現在

── 進学、就職はどのように進めましたか。

 

梅津さん:高校を卒業して、小さいころから好きだったお芝居を学ぶために札幌の専門学校に進学しました。その後は東京にも行ってみたいと思っていたのですが、命に関わるような重い感染症にかかってしまい、これは難しいと思って地元の網走に帰ってきたんです。就職先を探そうとハローワークを訪れたのですが、そこでも落ち込んで帰ってきました。

 

── 何があったのですか。

 

梅津さん:ハローワークでは、突然体調が悪くなったり、通院などで休んでしまったりすることがあること、あとは具体的に皿洗いなども難しいということを相談したんです。すると、「障害者手帳は持っている?」と聞かれました。同じ表皮水疱症の中でも症状はさまざまで、指がだんだんなくなってくる方もいるのですが、私は今5本の指が使える状態なので、「手帳はありません」と答えました。すると「それじゃ正社員は難しいよ」と。夢も叶えられないし、就職先も見つからない。私にできることは何もないんだという挫折感を味わいました。

 

── その後、どうされたんですか。

 

梅津さん:「学生時代に学んだことを活かせる仕事がある」と、知人の紹介で声を使う司会業の事務所に所属して仕事をさせてもらうことになりました。司会の仕事は毎日ではなく週末がメインです。その後、「地元にFM局が開局するので、パーソナリティー募集している」という連絡が事務所に入りました。地元だったこともあり私に打診があって、FMあばしりというコミュニティFMのパーソナリティさせてもらうことになりました。

 

── 職場の雰囲気はいかがですか。

 

梅津さん:出血が止まらないときや、入院や通院などで休んでしまっても、「無理しないでね」と言ってくれます。ペットボトルのキャップを開けるだけで手が傷ついてしまうのですが、たとえば「みんな忙しそうだな」というときに、洋服の袖を使って無理やり開けようとしていると、「開けるよ!」とすぐに声をかけてくれます。痛みやかゆみで眠れず、仕事で集中できない日があったので、「ぼーっとしていたら言ってくださいね」と伝えたら、「体調が悪くなったら言ってね」と。いろんな面から支えてもらっています。皮膚の表面が出ているぶん、感染症にもかかりやすいので過去に2週間入院をしてしまったこともあったのですが、そのときも「大丈夫だよ!」と番組をほかの方が代わってくださいました。体調のことも素直に話せる環境に感謝しています。

 

─ 素敵なメンバーですね!梅津さんの支えになっている方はほかにいますか?

 

梅津さん:小学校からの親友と今も仲がいいです。悩みを相談することもあるのですが、決して特別扱いはせず、自分が病気であることを忘れられる存在です。それに病気のことで何か困っているときも寄り添って手を差し伸べてくれます。もちろん両親も、私にとっては大切な存在です。特に母は体のケアをずっとしてくれていたのですが、思春期にはぶつかるときもありました。ケンカをしながらも治療をする手を止めることはなく、大人になった今、「生かされていた」と感じています。結婚してからは夫が、精神面での支えになってくれていますし、背中の傷などの治療もしてくれています。

 

── 病気について知らない方も多いので、学校生活や就職、普段の生活でさまざまな経験をしていると思います。どのような社会になってほしいと思いますか。

 

梅津さん:からだの動きが悪くならないよう、リハビリのために温泉に行くこともあるのですが、傷にガーゼを貼ったり剥がしたりすることもあって、脱衣所ですごく見られます。お子さんやおばあちゃんから「どうしたの?」と聞かれることもあるのですが、私は、気兼ねなく聞いてほしいなと思います。自分から病気のことを初対面で話すのも相手に気をつかわせてしまうかなと思うので、私の場合は気になったら聞いてもらえたらうれしいです。

 

梅津真里奈さんご夫婦
仲の良さが伝わる!梅津真里奈さんのご夫婦ショット 

でもこれは、表皮水疱症に限らないと思います。「なんでそういうふうになっているの?」と、ポンポン聞き合える世の中が本当の意味で差別がなく、個性を認め合えている社会なのかなと感じます。私自身もですが、生活しているなかで「これって聞いていいのかな」と躊躇する場面はあります。でも、実はこそこそ何かを言われて、「聞いちゃダメよ」という声が耳に入ってくる方が傷つくので、気兼ねなく声をかけてもらえたらいいですね。

 

同じ病気を患っている若い子たちには、勇気を持ってもらえる存在になれたらいなと思います。同じ病気ではなくても、何かハンデを抱えている方にも、病気もひとつの個性で、一歩を踏み出す助けになることが少しでもできたらいいなと思います。

 

取材・文/内橋明日香 写真提供/梅津真里奈