皮膚を保つタンパク質が欠損しているために皮膚が剥がれてしまう表皮水疱症という難病があります。生後2か月で表皮水疱症と診断され病気と向き合っている北海道美幌町の梅津真里奈さん(29)。「正しい知識を広めたい」とSNSでの発信を始めた梅津さんに、いじめや就職時の苦悩について話を伺いました。
亡くなる子をひとりでも減らしたい
── 2022年ごろから本格的にSNSで表皮水疱症について発信を始めたそうですね。
梅津さん:20歳を過ぎたころ、表皮水疱症について講演会などの依頼を受けて話す機会があったのですが、コロナ禍でそれがなくなってしまって。表皮水疱症は、重症の場合や知見のある医師がいない病院で産まれた赤ちゃんが適切な処置が受けられないことで亡くなるリスクもあるという話を知人から聞いて、心を痛めていました。

そういう子をひとりでも減らすために今の自分に何ができるかを考えた結果が、SNSでの発信でした。見た目についてはこれまで隠してきた人生だったので、自分の皮膚の傷をさらけ出すことは誹謗中傷も受ける覚悟でした。
── 梅津さんが表皮水疱症だと診断されたのはいつごろでしたか。
梅津さん:私は皮膚に傷がある状態で生まれてきたのですが、それが治らずむしろ増えていくので、生まれて2日でNICUがある病院に緊急搬送されました。皮膚科の先生から母に「表皮水疱症かもしれない」と伝えられたのですが、その先生は過去に1例だけ患者さんを診たことがあったそうです。その先生に知見がなければ、どうなっていたんだろうと思います。抱っこをするたびに皮膚が剥けてしまって、感染症の危険もあります。当時は日本で診断が確定できず、アメリカに資料が送られて生後2か月で表皮水疱症と診断されたのですが、確定するまでの2か月間は病気に感染する可能性もあるため隔離されていました。
── 幼少期はどのように育ちましたか。
梅津さん:ミルクを吐いてしまうと喉が傷ついてしまうので、濃度の高いミルクを少しずつ飲んでいました。寝返りの摩擦や、歩き始めで転ぶといった刺激がすべて傷になっていきます。紙おむつも足のつけ根などが擦れてしまうので、布おむつを使っていたそうです。保育園では包帯を巻き直してもらうなど先生方にも協力していただいていたと聞いてありがたく思っています。

── 学校生活で大変だったことはなんですか。
梅津さん:同じ病気で特別支援学級に通っている方もいますが、私は普通学級に通っていました。でも、保健室にいる時間は圧倒的に多かったです。保健室に治療道具を置いてもらってしましたし、置かせてもらっていた治療道具ではどうにもならず、母が呼び出されることも多かったので苦労をかけたと思います。中学生のころに同級生から「あいつに触ったらうつる」と言われたり、すれ違う際に息を止められたりするいじめのようなことをされていました。思春期の成長過程で体も変化する時期だったので、合併症の貧血や炎症反応が高くなり、発熱が続くなど体調面もつらいなか、気持ちの面でもしんどかったです。
表皮水疱症はうつる病気ではありません。大人になって、「向こうも病気のことを知らなかったから、きっと怖かったのかな」と思うこともあります。「表皮水疱症のことは表皮水疱症の自分が声を上げていかなくては」との思いで、差別を受ける人がいなくなるように正しい知識を広めたいと思っています。