被災地で知る「ニュースにならない現実」
── 14年にわたって、精力的に支援活動を続けてこられました。音無さんを突き動かしている思いはなんでしょうか?
音無さん:東日本大震災から14年が経ちましたが、被災地の皆さんが抱える悩みがなくなったわけではなく、新たな問題に移り変わっていたりします。たとえば、仮設住宅から災害住宅へと移った方のなかには、家族を失い、ひとりで暮らす高齢の方もいらっしゃいます。仮設住宅のころは、常設の看護師さんやボランティアの方がいて「体調はいかがですか?」と尋ねたり、血圧を測りに来たりと、健康チェックを兼ねて人との交流がありましたが、災害住宅でひとり暮らしになるとそれもなくなり、本当に孤独に陥ってしまう。「1週間、誰とも口を聞いていなくて、すごくさみしい」とおっしゃる方も少なくないと聞きます。
気仙沼に住民の皆さんとボランティアの方をつなぐコーディネーターとして、個人で支援活動を続けていらっしゃる村上充さんという方がいるのですが、災害住宅に被災者の方を訪ねていったらまったく応答がなくて、ひとりで亡くなっていた方が多かったとおっしゃっていました。その話を聞いて、胸がとても痛みました。そういうことは、ほとんどニュースにも取り上げられません。村上さんからは「孤独死の寂しさを痛感したから、どうか、これからも歌声喫茶で歌声を届けに来てください」と言っていただき、思いを新たにしました。

── 家族を失った被災者の方たちがつながる「居場所」としての役割もあるのですね。
音無さん: 地域社会に「つながりを作る場」としても、歌声喫茶がその役割を果たせるといいなと思っているんです。被災地に行くと、毎回、必ず来てくださる方もいます。一昨年10月には、宮城県東部の東松島を訪れました。
東松島では、歌声喫茶を10回以上開催しているのですが、約13年前にお腹に赤ちゃんがいたお母さんが現在は4人のママになっていたりして、年月を感じます。その方は、親子で何度か参加してくださっているのですが、現在、中学生になったいちばん上のお子さんの得意な歌は「水戸黄門」や「高校3年生」。じつは、歌声喫茶で昭和歌謡を聞いていたことで「水戸黄門」が大好きになり、なんと学校の学芸会でも水戸黄門を披露したのだそうです。ちなみに、そのお子さんと私はLINE交換もしているんですよ。ときどき「試験で100点でした♪」なんて近況報告の連絡がきたりして、私の頬も緩みます。
「また来てね」という皆さんの笑顔を見るたびに、体力が続く限り、ライフワークとして活動を続けていこうという思いがわき上がってきます。皆さんの「心の復興」のお手伝いをさせていただき、元気な歌声を聴くことができる。それが私にとってなによりの喜びになっています。
PROFILE 音無美紀子さん
おとなし・みきこ 1949年、東京生まれ。66年、劇団若草に入団。71年、TBSドラマ「お登勢」のヒロイン役で一躍人気女優に。以来、数多くの映画やドラマ、舞台に出演。著書に「がんもうつも、ありがとう!と言える生き方」など。夫は、俳優の村井國夫さん。
取材・文/西尾英子 写真提供/音無美紀子