支援や情報が少ない小規模な仮設住宅を回ることに
── 第1回目の「歌声喫茶」開催は東京だったそうですね。被災地でなかったのには理由がありますか?
音無さん:活動の支援金を集めるために、2011年12月に東京・恵比寿にあるライブができるレストランで歌声喫茶のイベントを開催。その後、名古屋、大阪と全国に活動を広げて募金箱を持って回りました。準備を重ね、実際に「歌声喫茶」として被災地の仮設住宅を訪問したのは、2012年の6月27~28日です。宮城県出身の国会議員の秘書の方に間に入っていただき、小規模な仮設住宅を7か所くらい回りました。
── 小規模なところばかりを回ったのはなぜですか?
音無さん:大規模な仮設住宅だと、いろんな方が支援活動に訪れるし、物資もたくさん届きます。そうしたところでは、毎日のようにボランティア団体や著名人などの訪問があり、壁にはスケジュールが張り出されるんですね。被災者の方も、「せっかく来てくださるのだから」と疲れた体で支援のイベントを見に行って、余計に疲弊しているケースもあると、人づてに知りました。それだったら、情報も支援物資も行き届いていない小規模な仮設住宅を回ったほうがいいのでは、と考えたんです。

ただ、自分たちの行動が、善意の押しつけになってはいけないので、「私たちが伺ってもお邪魔じゃないでしょうか?」と、皆さんの気持ちを聞きながら進めていくように心がけていました。
最初は仙台を拠点として近場の塩竈市や石巻市を訪れ、その後は、陸前高田、福島市など、少しずつ活動範囲を広げていきました。これまで130か所くらい訪れています。コロナの時期は被災地訪問ができませんでしたが、毎月YouTubeで生配信を行っていました。一昨年11月末には、宮城県東部の東松島市を訪れました。東松島での開催は10回目になりますが、「またこうして歌いに来たよ!」と言ってくださる方もいて、私たちも、皆さんに毎回、元気をもらっていますね。
PROFILE 音無美紀子さん
おとなし・みきこ。1949年、東京生まれ。66年、劇団若草に入団。71年、TBSドラマ「お登勢」のヒロイン役で一躍人気女優に。以来、数多くの映画やドラマ、舞台に出演。著書に「がんもうつも、ありがとう!と言える生き方」など。夫は、俳優の村井國夫さん。
取材・文/西尾英子 写真提供/音無美紀子