炊き出しや寄付金など、多くの著名人が東日本大震災後、支援を打ち出しました。音無美紀子さんがいまも続ける『歌声喫茶』も14年に。タレント一家総出の支援イベントですが「勇気づけられるのは私たちのほう」と、音無さんは話します。(全4回中の3回)
仮設住宅で聞いた釜石音頭「歌は救いになりうると知って」
── 2011年12月から東日本大震災のチャリティ活動として、芸能界の仲間とともに「音無美紀子の歌声喫茶」をスタート。今もなお、全国各地で精力的な復興支援を続けていらっしゃいます。どういう活動になるのでしょうか。

音無さん:うちの家族や芸能界の仲間たちと一緒に全国の被災地などを訪問し、アコーディオンやピアノ伴奏に合わせて、お客さんにリクエストしてもらった曲を一緒に歌っています。歌うのは、昭和歌謡や童謡がメインです。早いもので、もう14年目になりますが、あっという間に感じますね。被災地での歌声喫茶(イベント)は無料ですが、東京など、ほかの地域では、ワンドリンクつきでテーブルチャージを3500~4000円いただき、活動資金にあてています。
── 被災地の支援活動として「歌声喫茶」を始めたきっかけを教えてください。
音無さん:2011年3月に東日本大震災が起き「何かお役に立てることはないだろうか」と考えていたとき、行きつけのレストランで釜石出身のパティシエの女性が、被災地にお菓子を持参して移動喫茶を行うと聞きました。そこで「移動喫茶で皆さんと一緒に歌を歌うのはどうでしょう?」と提案したんです。ただ、まだ地震発生から2か月くらいの時期で、現地の状況もよくわからない。被災者の方たちの邪魔になることだけはしたくなかったので、まずは一度現地を視察しようということになりました。

彼女から「避難所では化粧品がなくて困っている」という話を聞いたので、ヘアメイクさんに声をかけ、化粧品のサンプルやハンドクリームなどを大量に集め、支援物資のひとつとして持っていくことにしました。
── 化粧品の救済物資はあと回しになりがちですが、女性にとっては生活必需品ですよね。
音無さん:そうなんですよね。俳優仲間の多岐川裕美ちゃんに話をしたら「私も行きたい」って言ってくれたので、一緒に現地に行くことに。「役者さんたちからお祝いでもらったサイン入り手ぬぐいが大量にあるから、それを持っていくわね」と裕美ちゃんに言われ、それなら私の家にもたくさんあるなと。有名な役者さんたちのサイン入り手ぬぐいを2人で持ち寄り「喜んでもらえるかしら。でも、手ぬぐいなら何かの役に立つかもしれないから」と言いながら、化粧品と一緒に持参しました。
現地では、釜石の仮設住宅を何か所か回りました。そのときに、釜石で最年長の80代の芸者さんが「みんなで歌いましょう」と、踊りながら釜石音頭を歌われたんです。そうしたら、沈んでいた場がパッと賑やかになり、皆さんの表情がフッと明るくなったんですね。それを見て、「歌で被災者の方々を少しでも元気づけられるかもしれない」と思い、「私たちも何か歌いませんか?」と皆さんに呼びかけました。
「どんな歌がいいでしょう?」と聞いたら、「『幸せなら手をたたこう』が歌いたい」というリクエストがあがりました。「今、その歌を歌うの…?」と一瞬とまどったのですが、いざみんなで歌い始めたら、自然と手拍子が起こり、小さかった声もだんだん大きくなって、足踏みしながら歌う方もいらっしゃいました。その姿になんだか心が救われた思いがしたんです。そこから、被災地の皆さんを応援する取り組みとして、「歌声喫茶」開催に向けて動き始めました。