テレビ局の仕事から姫路市教育長に就任した理由

── 養子縁組について世間に公表した経緯について教えてください。

 

久保田さん:養子縁組の制度をもっと知ってもらうために、自分の気持ちを発信することが大切だと思いました。自分はアナウンサーの経験を活かして発信することができますし、自分が当事者として伝えることによって、誰かの選択肢のひとつになれたらいいと思ったんですよね。

 

── 2024年4月から兵庫県姫路市の教育長に就任されましたが、娘さんを迎え入れたことにも繋がっていますか?

 

久保田さん:すごく繋がっています。保護者の立場になって、子どもたちが自分らしく学べる環境を作っていきたいと感じていました。娘と養子縁組で出会ったのは縁からでした。こんな仮定をするのは、考えるだけで今は悲しいのですが、ちょっとご縁が違っていたら、娘はほかの家庭にいっていたかもしれない。自分自身もほかの子を大切に育てていたかもしれない。今は娘と一緒にいない人生なんて考えられませんが、俯瞰して考えると養子縁組はどの子と縁があったかわからないと思うんです。そう考えると自分の子はもちろん、どの子どもたちも大切にしたいと考えるようになりました。

 

娘を迎え入れた後にテレビ局に復帰したときは、子育て支援についても発信しました。親子に直接、支援ができなくても、家族が少しでも過ごしやすくなるようなことも意識しました。ただ、メディアだけだと、本当に困っている人にどれだけ届けられているのかという気持ちはあったんです。

 

いっぽう学校現場は、基本的にすべての子どもと繋がっている場所です。学校がもっと福祉的な機能を持つことができたら、困っている子どもをもっと支援できるんじゃないか。そんな問題意識があるときに姫路市教育長のオファーがあって、お受けすることになりました。

 

── 今までやってきたテレビ局のお仕事とはだいぶ違う世界なのでしょうか。

 

久保田さん:やっている仕事はだいぶ違いますね。問われる専門性も違いますが、「自分がなぜやっているか」という部分は変わってないです。「子どものためにできることは何か」「子どもたちの環境はどうしたらよくなるのか」という意識で、メディアの仕事と形は違いますが、自分の思いは変わっていないですね。

 

── 旦那さんは東京在住なので週末に姫路にきているそうですね。

 

久保田さん:月2回くらい、週末にきて月曜日の朝に東京に戻ります。家族水入らずの時間を過ごしながら、幸せを実感しています。

 

PROFILE 久保田智子さん

くぼた・ともこ。1977年生まれ。広島県出身。東京外国語大学卒業後、2000年にTBS入社。アナウンサーとして活躍し15年に結婚。TBSを退社し渡米。18年に帰国後、報道記者としてTBSに復職。19年養子縁組にて1児の母に。2024年4月から兵庫県姫路市教育長に就任。

 

取材・文/松永怜 写真提供/久保田智子