「赤ちゃんが産まれました」と連絡がきた

久保田智子
娘が2歳6か月のころ熱海の家族旅行で撮った記念写真

 

 

── その後、委託の連絡はどのように来ましたか?

 

久保田さん:連絡を受ける数週間前に「赤ちゃんの委託を希望されている方がいて、その方は恐らく委託を選択すると思います。その場合は連絡します」と言われていたんですね。その後、レストランでご飯を食べているときに斡旋団体から連絡がきて「赤ちゃんが産まれました。今、産みの親が家族会議をしたうえで、養子縁組を希望したいということです。受けられますか?」と連絡が来ました。

 

── 事前に一報があったとはいえ、実際に赤ちゃんが委託されると連絡を受けたときはどんな気持ちでしたか?

 

久保田さん:すごくフワフワした…難しいんですが、目に見えているものではないけれど、とても大きな変化になるだろうという感覚でした。でも、自分が産んでいるわけではないので、手応えみたいなものはなくて、変なテンションです。もちろんすごくうれしいんですよ。うれしいしいんですけど、「やったー!」といった感じではなく。でもこれから大きく何か変化する予感だけが心の中に広がっていくような感覚でした。

 

── 赤ちゃんの委託が確実に決まるまでは、委託する側もされる側も気持ちが変わるケースがあるため、ベビー用品の準備は待つように言われたそうですね。そのため、赤ちゃんを正式に養子縁組として受け入れることが決まってから、必要なものを急いで取り寄せたとか。

 

久保田さん:赤ちゃんが産まれて4日後には迎えに行くことになると聞いたので、急いでベッドやロンパース、洋服一式などをネットで手配しました。オムツのサイズはいちばん小さくていいのかなとか、ベッドはどんなサイズなのかなとか、不安がありました。本来だったら徐々に段階を踏んで準備するんでしょうけど、それがないまま急にですから。

 

ただ、赤ちゃんがわが家に来る前に、施設で2泊3日の研修を受けることができました。「ミルクの作り方はこれでいいのかな」とか、すべてが手探りでしたので、最初に手厚く支援してもらったことは安心できました。

 

 

委託のために訪れた病院で久保田さんは産みの母とも対面を果たします。その際、夫婦で「この言葉だけは言わないようにしよう」と決めていたことがあったそうです。

 

PROFILE 久保田智子さん

くぼた・ともこ。1977年生まれ。広島県出身。東京外国語大学卒業後、2000年にTBS入社。アナウンサーとして活躍し15年に結婚。TBSを退社し渡米。18年に帰国後、報道記者としてTBSに復職。19年養子縁組にて1児の母に。2024年4月から兵庫県姫路市教育長に就任。

 

取材・文/松永怜 写真提供/久保田智子