あと一歩で幸せになるのに

久保田智子と夫、養子縁組で迎えた娘
結婚した夫と熟慮の末、養子縁組で娘を迎えた

── 旦那さんにはどのように伝えましたか?

 

久保田さん:「子どもは難しいと」とストレートに伝えましたが、夫は「あ、そっか」くらいの反応でして。私としては、自分が10年近く抱えてきた深刻な悩みを打ち明けたので、少し拍子抜けしたと言いますか。あれ、私、結構大事なこと言ったんだけどなと思いながら、その後も夫は「じゃあ、まぁ、一緒にいろいろ考えていきましょう…」と言いながらそのままお酒飲んでカーッと寝ちゃっていて。

 

── 旦那さんに子どもについてお話しされるとき、少しドキドキしそうですね。

 

久保田さん:しますよ。自分は結婚したい。ひとりで暮らしていくのはやっぱり寂しいといった気持ちもありましたし。いっぽうで、こんなに素敵な男性と出会えて、あと一歩で幸せを掴めそうなのに自分でなくしてしまうかもしれない。もし結婚した後に体のことがわかっていたら2人で乗り越えていくんだろうけど、その手前で自分はわかっているがために、先に言わなきゃいけないというのもつらいことで。

 

── 旦那さんのご家族には伝えられたのでしょうか?

 

久保田さん:夫がどう伝えるかまで、私は踏み込んでないです。推察でしかないですが、結婚したい人がいます、とまず伝えたんではないかと思います。夫の感覚で言うと、私に子どもができないのは次に考えることであって、まずはこの人と結婚したいかどうか重要だったという説明なんですよ、後から聞くと。だから「え?なんで子どもができないと結婚しないの?」といった感じで、じゃあ、子どもができないんだったら、どうするか考えればいいじゃないの?って自然に思う人なんですね。

 

── 結婚が決まって旦那さんはニューヨークに3年弱赴任、久保田さんはTBSを退社されて旦那さんから1年遅れでニューヨークに行かれました。ニューヨークで数年生活した後、日本に帰国するタイミングで養子縁組についての話が進んだそうですが、改めて、養子縁組の制度を利用しようと思ったのはなぜでしょうか?

 

久保田さん: 私が担当するTBSの番組で養子縁組の家族に密着した特集があったんです。実際に養子縁組をした家族の様子を見たときに、こういう選択肢も自分にもできるんだなと、すごくリアルにイメージすることができました。

 

── 久保田さんは養子縁組の知識を持たれていたと思いますが、旦那さんは子どもや養子縁組についてどのように受け止めていましたか?

 

久保田さん:基本的に夫は私の希望をすごく聞いてくれる人です。私が、2人がいいと言ったら「それもいいね」って言う気もしますし。養子縁組について話をすると即答ではなかった気がしますが、特に反対もなかったと思います。夫は考え方が柔軟な人です。困難があっても立ち向かえるのか向かえないのかまず判断して、難しいなら違う選択肢を探すタイプなんですね。養子縁組の知識はその後、研修を受けながら学んでいくことが多かったですが、まずは2人で養子縁組について考えて、養子縁組の斡旋団体を探し始めました。

 

 

約3年間のニューヨーク滞在を経て、日本に帰国した久保田さん夫婦は養子縁組の斡旋団体に登録します。その後に受けた1本の電話から、人生が大きく変わり始めます。

 

PROFILE 久保田智子さん

くぼた・ともこ。1977年生まれ。広島県出身。東京外国語大学卒業後、2000年にTBS入社。アナウンサーとして活躍し15年に結婚。TBSを退社し渡米。18年に帰国後、報道記者としてTBSに復職。19年養子縁組にて1児の母に。2024年4月から兵庫県姫路市教育長に就任。

 

取材・文/松永怜 写真提供/久保田智子