TBSアナウンサーとして活躍した20代のころに「妊娠は難しい」と医師から告げられた久保田智子さん。思い描いていた家族像から逃れられないと悩んでいたときに夫が発した言葉は── 。(全4回中の1回)

理想の家族像から離れられない自分がいた

久保田智子
医師から妊娠は難しいと告げられていた久保田智子さん

── TBSアナウンサーとして活躍していた20代のころ、医師から妊娠は難しいと言われたとのこと。当時の心境について伺ってもよろしいでしょうか?

 

久保田さん:当たり前に結婚して家族ができて、母になることへの憧れを持っていたので、この先どうしたらいいんだろうと、お先真っ暗な気持になりました。自分が思い描いていた家族像にどうやったら近づけるのか。当時は、子どもがいない人生も尊重されるべきだと思っていましたが、いざ自分事となるとそういった思考がまったく働きませんでした。子どもができないんだったら、離婚して子どもがいる人と結婚すればいいのか。または、人を不幸にしてはいけないから、自分は誰とも結婚せずに1人でいるべきかと思ったこともあります。当時は結婚して子どもを持つことこそ自分の幸せだと疑わなかったので、なかなかそこから離れられない自分がいましたね。

 

今思うと、何の問題もなく家族を持って子どもを産む人生を歩んでいたら、そうじゃなかった人たちの気持ちってわからないままいたんじゃないかなと思います。

 

── 自分を責めるような気持ちはありましたか?

 

久保田さん:ありましたね。自分が至らない人間だからこうなったんだ。自分は必要のない人間なんだって、自己肯定感が下がるような気持ちにもなりました。赤ちゃんや子どもを見るとつらくなることもあって、子ども服売り場やおもちゃ売り場には絶対近づかないようにしていました。子ども自体は好きなんですよ。子どもには何の罪もないんですけど、そうした場に行くと、自分は子どもを持てない現実を突きつけられるような気がして避けたくなる気持ちがありました。

 

20代のころは、結婚して子どもをもつ友達がまだ多くなかったんです。でも、自分と近い人たちが結婚して母になっていくような時期になってくると、より直視できなくなるというか。友達の幸せを祝福する以上に、自分はできないんだなって実感する気持ちが強くなりましたし、友達の幸せを素直に喜べない自分に対しても自己嫌悪するような感覚もありました。

 

── 医師から妊娠についてお話を聞いたときは独身でした。その後、旦那さんと知り合って交際が始まったそうですが、旦那さんにはどの段階で体のことを伝えましたか?

 

久保田さん:夫とはお互い30代後半のときに交際がスタートしました。それぞれしっくり合う感覚があって、早い段階で結婚を前提におつき合いする話が出ていたんです。あと、ちょうど夫がニューヨークに赴任することが決まりそうだったので、つき合って数週間くらいで指輪をプレゼントされた。いつ言おうか迷っていましたが結局、そのときに伝えました。