Kiroroの玉城千春さんは、2001年のNHK紅白歌合戦のあと、半年ほど歌手活動をお休みしていました。喉の不調に紅白前夜の事件など、今だから語れるエピソードを話してくれました。(全4回中の3回)
一度は諦めた歌手としての夢
── 幼少期から歌手になることを夢見ていたそうですね。
玉城さん:小さいころから歌が好きで、歌手を目指して沖縄のアクターズスクールに通ったときもありました。そのとき安室奈美恵さんなども一緒にレッスンを受けていたのですが、やはりデビューを飾るような方は、すごくキラキラ輝いて見えました。「私には無理だ」と思ったのが、小学6年生のころでした。
── まだまだ夢を諦めなくてもいい年齢に感じますが、周りがデビューを飾っていた環境では、自信をなくしてしまいますね。
玉城さん:当初、安室奈美恵さんも在籍していたSUPER MONKEY’Sのメンバーに、私の幼馴染がいました。小学3年生のころから彼女と一緒に歌の練習をしていて、一緒にオーディションを受けていたのですが、私は1度も受かったことがなかったんです。事務所のオーディションも、東京にもいっぱい書類を送ったんですけど、落ち続けていました。それで、「もう歌手にはなれない」と悟ってしまったんですよね。もう、心底落ち込んで毎日が楽しくなかったです。何か、ほかのことを頑張ろうと思ったんですけど、やっぱり自分が好きだった歌から離れることはできなくて。諦めきれず、中学生のときに沖縄のテレビの歌番組に出て、初めて何かに受かるという経験をしました。そこからは、「夢が叶わなくてもいいから、好きなことをとことん楽しもう」と思って歌っていました。
── 一度は諦めた歌手としての夢を見事に叶えました。
玉城さん:小さいころから何度も挫折を味わってきたので、まさか自分が歌手になれるとは思っていませんでした。高校2年生のときに一緒に演奏をし始めた綾(Kiroroのキーボードの金城綾乃さん)とは、高校を卒業したら離れてしまうので、記念にスタジオに録音をしに行ったんです。そこでスタジオの方に気に入っていただいて、インディーズでのデビューをお声がけいただいて。それが売れてメジャーデビューに繋がるのですが、そこからは本当に無我夢中でやってきました。