フリーアナウンサーとして活躍しながら、特撮や相撲まで幅広い趣味を持つことで知られる宮島咲良さん。自分の「好き」に素直でいられる姿勢の原点には、幼少期の母とのあるエピソードがありました。(全4回中の4回)

太陽は紫色でいい。両親がつけてくれた自信

── 宮島さんはモデルやアナウンサーを経て、近年は朗読劇などで活躍の幅を広げています。やりたいことにまっすぐ取り組む姿勢は、どのように培われたのでしょうか。

 

宮島さん:自分が思ったことや、やりたいことに向き合う姿勢は、小さいころからありました。保育園のころは絶対にスカートを履きたくなくて、「なんで女子だからって、スカートを履かなきゃいけないの?」と、女子の中でひとりだけズボンを履いて登園していました。自分の考えはきちんと言うタイプで、両親も私の気持ちを尊重してくれました。両親はまず私の気持ちを聞いたうえで、「どうしてそう思うの?」と尋ね、そのうえで間違っていることがあればしっかりと注意してくれましたね。

 

宮島咲良
幼少期の宮島咲良さん。ヒーローの人形が好きすぎてパクリ

── 素敵なご両親ですね。

 

宮島さん:保育園で絵を描いたとき、太陽を紫色で塗ったことがあったんです。そのとき先生に「太陽は紫色じゃないよ」って塗り直しをすすめられたんですが、母が「きっとこの時この子には太陽が紫色に感じたんだと思います」って言ってくれたんです。それがすごくうれしくて、今でも覚えています。まわりと違っても、自分の気持ちを大事にしていいんだって自信がついた瞬間でした。

 

── 自分の気持ちに素直でいる姿勢は、ご両親の影響があったんですね。

 

宮島さん:モデルの仕事もアナウンサーの仕事も、私が「やってみたい!」と言ったとき、両親が口出しすることはありませんでした。局アナを辞めるときも、「咲良がそう思うなら、それでいいと思うよ」と応援してくれました。もちろん親として確認すべきことはしっかりしてくれましたが、それ以外は自分のやりたいことを自由にさせるという教育方針でした。それが私にとって本当にありがたかったです。

 

── 宮島さんは特撮マニアとしても有名ですが、いつごろから特撮が好きだったのでしょうか。

 

宮島さん:保育園のころから特撮が大好きでした。保育園の写真には、すでにヒーローのフィギュアを抱えている私が写ってるんです。一人っ子なので、だれかから影響を受けたわけではなく、自分発信で好きになって、夢中になっていました。相撲も小学生のころから好きで、自分で好きになって自分ではまっていきました。今でも大好きで、ひとりで本場所や巡業も見に行きます。

 

── 小さいときから、今でもずっと好きというのがすごいです。

 

宮島さん:自分でアンテナを伸ばして、興味のあるものを見つけるのが得意だったと思います。オタク気質なので、少しでも興味を持ったことは全部調べます。それでどんどん深くはまっていった、そんな感じです。