鈴木蘭々さんは18歳のころ、突然、兄の死に直面します。その後、オーディション落選続きから一転、国民的人気者として大ブレーク。肉親の死はどんな変化をもたらすのか。問い続けたものは何なのでしょうか。(全4回中の2回)

障がいのある兄へ向けられた視線や言葉に傷ついて

── 鈴木さんには、夭逝(ようせい)した8歳上のお兄さんがいるそうですね。筒美京平さんプロデュース・鈴木さん作詞のデビュー曲『泣かないぞェ』には、お兄さんとの日々で感じたことが反映されていると聞きました。

 

鈴木さん:知的障がいのある兄との生活から、私は大きな影響を受けています。私は、世間から兄に向けられる視線やかけられた言葉に疑問を持ち、兄を通してみる世界がとても冷たく思えました。本当に心から優しく接してくれる人なんて、この世にはとても少ないんじゃないかと考えることもありました。

 

幼少期の鈴木蘭々
お兄さんとのツーショット

── デビュー曲「泣かないぞェ」(作詞:鈴木蘭々・森園真)の♪世の中すべてみんな全部ウソツキ♪はインパクトのある歌詞です。鈴木さんは、世の中の矛盾やおかしさに早くから気づいていたのですね。

 

鈴木さん:そうかもしれません。でも、私に限らず子どもって、子どもだけれど、ときおり、けっこう鋭い目線で世の中を見て、感じている部分があると思いますよ。

突然亡くなった兄「まさか最後の会話になるなんて」

── お兄さんが亡くなったとき、鈴木さんは18歳でした。

 

鈴木さん:いまでも覚えています。東京ドームで行われたマドンナさんのライブの帰り、自分もあんな素敵なステージに立てるようになりたいとワクワクしながら、駅からJR中央線に乗ったところで、ポケベルに連絡が入って兄の死を知りました。たまたまその日は、私がひとり暮らしを始めて2日目。ひとり暮らしする引っ越しのときに、風邪気味の兄に「私、引っ越すから、この家には帰ってこないからね、じゃあね」「うん」と、カーテン越しに顔をあわせずに声をかけて出てきたんです。その2日後、兄は突然、天国の住人になっちゃった…。

 

鈴木蘭々
『ポンキッキーズ』に出演中のころ

── ご自身のひとり暮らしのタイミングも重なり、大きなショックを受けたんですね。

 

鈴木さん: 兄については、本当にひと言で語りつくすことはできません。障がい者としてこの世に生まれ、あっけなく死んでしまった。しばらくの間、「彼の生きた意味は何だったのか?」と、考えたくないのに、いつもそんな思いがぐるぐると頭の中をめぐっていました。妹の私から見ても、兄は世間の冷たい視線や言葉を浴びることが多いように感じました。プラスとマイナスなら、マイナスな扱いばかり受けて、さらにこの世から早くいなくなってしまうなんて、一体どういうことだろうと。

 

── 鈴木さんに大きな影響を与えたお兄さんの死は、ちょうど鈴木さんが芸能界で売れっ子になる時期と重なります。

 

鈴木さん:兄が亡くなってすぐ、私の運命が変わり、売れ始めたんです。だから、兄の死と引き換えに私の幸運が舞い込んでいるんじゃないか、と受けとめてしまうこともありました。