M-1で優勝できなかったのは悔しいけれど
── NSCを卒業すると、当時、若手の芸人さんが活躍されたbase吉本の舞台に立たれました。舞台に立つのも熾烈な争いがあったとか。
誠子さん:オーディションでbase吉本の舞台に立てるか決まるんですけど、その中でも1軍、2軍、3軍とレベルわけがあって、毎週入れ替え戦があったんです。1回舞台に立ってもずっとそこに居続けられるわけではなかったので、毎週戦い続けている感じでした。私が舞台に立っていたころは、ジャルジャルさんとかモンスターエンジンさん、スマイルさんとか。かまいたちさんも頭角を出してきたときかな。あと、和牛さんも3軍から2軍に移るくらいのときだったと思います。後輩で言うと霜降り明星の粗品の姿を見たときは衝撃でしたね。いきなりピンで現れて、オールザッツ漫才で優勝したので。明らかに才能と面白さの光を放っていて、一瞬で好きになりました。
── 後輩の活躍で焦りを感じることはありましたか?
誠子さん:あんまりないですね。私はお笑いが大好きなので、おもしろいネタを見てワクワクするんです。自分達のネタとも被ってなかったし、自分達のスタイルにも自信があったので素直におもしろいなって。ただ、先輩、後輩関係なく、当時は今以上に女性の芸人が少なかった時代です。男性芸人に対して女性のお客さんが多かったので、私たちは舞台ではウケましたが、当初はお客さんと審査員からなかなか票が入らなかったんですよ。もっとたくさんの人たちに喜んでもらえるようにとネタを変えて、たとえば恋愛ネタを入れたりしたことで、女性のお客さんも徐々に増えていきましたね。
── 芸人になった時点で目指していたことはありますか?
誠子さん:私はM-1を見て漫才をやりたいと思ったので、やっぱりM-1優勝を目指しました。最高の成績を残せたのが2015年の準決勝ですね。トレンディエンジェルさんが優勝した年です。もちろん決勝を目指して優勝できなかったのは悔しいですけど、ベストを尽くしたのでとてもいいM-1人生だったと思います。
PROFILE 誠子 さん
せいこ。1988年生まれ。兵庫県出身。NSC大阪校にて同期の渚と2007年「尼神インター」を結成。24年3月末にコンビを解散し、吉本興業も退所した。フリーの芸人としてライフスタイルブランド「merci(メルシー)」も設立し活躍中。
取材・文/松永怜 写真提供/誠子