「自分が虐げられていたわけではないんですけど」と幼少期を振り返る芸人・誠子さん。口数少なくおとなしかった彼女は高3の冬に突如、芸人への道を目指すことに。(全3回中の1回)
受験勉強中に突然センターマイクへの憧れが
── 子どものころは口数が少なくておとなしかったとのこと。双子の妹さんたちに対しても会話が少ない時期があったそうですね。
誠子さん:私が心を閉ざしていたと思うのですが、私は妹たちより太っていたし、同じ家族の中で「妹さんたちきれいだね」って言われることがコンプレックスに繋がっていたんだと思います。「妹がきれい」と言われても自分が虐げられていたわけではないんですけど、自分はかわいくないんだと思い込んだり、妹ばかり褒められていいなって嫉妬していたりした部分がありましたね。
── そうした思いを抱えながら、高校卒業後はNSC(吉本総合芸能学院)に入学されました。
誠子さん:高校3年生の冬に、初めてテレビでM-1グランプリを見たときに「漫才師かっこいい!」って思ったんです。センターマイク1本だけでお客さんを笑わせられるってすごい。コントやライブも好きなんですけど、しゃべりだけでお客さんを笑顔にしてるのって本当にかっこいいなって感銘を受けて。それまで大学進学を目指して受験勉強していましたが「大学には行かずに吉本に行きたい」と親に気持ちを伝えて進路変更することにしました。
── 子どものころはおとなしかったとのことですが、NSCではいかがでしたか?
誠子さん:漫才をやるって決めてから、吉本の授業で「人前に立ってどうしよ」って思ったことは1回もなかったですね。とにかく漫才がやりたい一心でしたし、好きなことには真っ直ぐいくタイプなんです。自分がやりたいことができる喜びで溢れていたので、芸人になるって決めてから自然と妹たちへのコンプレックスも消えていったと思います。
NSCに入る前から美容やファッションも好きでしたが、NSCに入って「これはお笑いに集中しないと太刀打ちできないな」と感じて。腹を括って、すべてをお笑いに集中するようになりました。
── のちに、尼神インターとしてコンビを組んで活躍されていきますが、NSCに在学してしばらくは別の方とコンビを組んでいたそうですね。
誠子さん:中国人の女の子とコンビを組んでいて、周りからの評判もよかったし、この子とコンビを続けようと思っていたんです。でもコンビを組んでいる途中で渚が「私とコンビ組もうや」って言ってきたんですよ。中国人の女の子と解散していないのでびっくりしました。ただ、彼女にその話をすると、彼女もNSCを卒業したら中国に帰るつもりだったということがわかって。こちらから話を振ってみたものの、なんとなく振られた気分にはなりましたが(笑)、そのまま渚と組むことになりました。
もともと渚とは仲がよくて、性格もめちゃくちゃ似ているんです。コンビを組む前、NSCに入りたてのころからよく昼ごはんを一緒に食べていたし。同じ関西出身で気が合ったのか、ネタ合わせの後にもよく飲みに行っていたんですよね。一緒にいて楽しいし、お互いサバサバしているところも似ているし、なんだかんだ「おもしろかったらいいやん」といったマインドも近いです。だから渚とコンビを組みたいと思ったし、15年一緒に活動できたんだと思いますね。