障害のある兄弟姉妹をもつ「きょうだい児」の立場から発信を続ける弁護士の藤木和子さん。近著『きょうだいの進路・結婚・親亡きあと』では、当事者特有の悩みや不安に法律的な回答をしています。藤木さんが社会に向けて伝えたいこととは──。(全3回中の3回)
きょうだい児にはきょうだい児の人生があり自由なのだから
── 弁護士として多方面で活躍されています。主にどのような活動を?
藤木さん:きょうだい児のピアサポート(同じ立場の仲間による支え合い)グループ「きょうだい会」の運営にかかわったり、本の執筆やSNSで情報を発信しています。きょうだい児の方の相談も受けてきました。
── 相談は法律的なものが多いのでしょうか。
藤木さん:法律的な相談と、人生相談と、半々です。人生相談では進路選択に悩んでいる、恋愛や結婚で相手にどう伝えるか、親が亡くなってどうしようといった内容が多いですね。あとは、家を出たあと、親から帰ってこいと言われたり、残した家族が心配だったりして、戻るか悩んでいる方が多いです。家を出ても終わる問題じゃないんだなと感じますね。
── 著書ではそんな悩みに対して法律家の立場からアドバイスされています。私も重度知的障害で自閉症の兄をもつ立場ですが、「きょうだい児が世話をすることは義務ではない」とわかっただけでも気分が楽になるところがありました。
藤木さん:将来にわたって障害のある兄弟姉妹の世話を自分がするべきかという悩みは多いですが、民法の条文にあるきょうだい間の扶養義務は、自分に余裕がある範囲で助ける弱い義務であり、世話をするかどうかはきょうだい児自身が選べます。憲法でも「個人の尊重」「幸福追求権」「自己決定権」が定められており、こうしなければならないという義務や強制はありません。
でも、きょうだい児は子どものころから、親や周囲に「将来はよろしくね」と言われがち。たとえ親の思いはそうであっても、きょうだい児にはきょうだい児の人生があって、自由であるということは伝えていきたいと思っています。そうはいっても、心情的には見て見ぬふりをしていいのかという問題もあって。自分は犠牲になりたくないけれど、見て見ぬふりはできないという方もいます。
── 複雑な思いを抱えているきょうだい児は多いと思います。
藤木さん:そこがやっぱり法律でわりきれない部分で。法律では自由と言っているけれど、社会の受け皿がたりないというギャップがある。そこを家族が全部フォローすると、やっぱり家族頼みになってしまうので、本来は社会がもっと制度的に進むべきだと思います。
── 法律と実態に乖離がある部分を、行政がフォローできたら、義務や罪悪感を感じて悩むことが減りそうな気がします。
藤木さん:そう思います。罪悪感だけでなくて、世間や親族の目を気にする方も多い。私が父の事務所を辞めて、実家を出て結婚するときも、周りの人から「お父さんは許してくれたの?」と質問されました。本来、家を出ることには誰の許可もいらないはずなのに、世間はそう見ることもある。逆に法律でわりきって、「私には一切関係ないので、何もしません」と思える人は悩まないのかもしれませんが。
── きょうだい児としての繋がりや大事に思う気持ちがあれば、そのぶん罪悪感が生まれてしまう。
藤木さん:その罪悪感の割合が100%の人がいれば、5%の人もいて。きょうだい児が100人いたら100通りの感じ方がありますから。障害のある兄弟姉妹と一緒に生きていきたいという方もいるし、結婚して子どももいるから自分の家族を優先したいけれど、できることはしたいっていう方もいる。私も親が高齢になったので、今後どう向き合っていくのかは最近よく考えます。弟にできることをしたいと思うけど、何ができるんだろうと。
── 藤木さんご自身は、親なきあとをどう考えていらっしゃいますか。
藤木さん:弟は身の回りのことは自分でできますし、私が家を出た後に両親を支えてきた自負もあるので。それを踏まえて、きょうだい児としてどうサポートしていけるかが課題です。一緒に住むことは難しいので、ほどよい距離が取れればいいのですが。今は、親を亡くされたきょうだい児の先輩から聞くお話が、すごく参考になるんです。何をしても後悔はついてくると思うんですけど、その後悔も含めて、今後自分の体験をお伝えできたらと。
── 私自身、親なきあとのことを話し合うのは怖い部分もありますが…。
藤木さん:やっぱり親の終活ってアンタッチャブルですよね。きょうだい児の方たちに、私の著書を親に渡せるか渡せないかって聞いたら、半分は渡して読んでもらい、将来の話ができたとおっしゃいましたが、もう半分の方々は怖くて渡せないと。でも、親が少しでも元気なうちに話しておくことが大事です。私も父が病気をしたあとに話せるようになったので、タイミングもあるのかなと思います。