私がどんなに頑張っても、弟の耳が聞こえないのは変わらない
── 高校生のときに、海外留学を経験されています。
藤木さん:中学に入ると弟や親がイヤになってきて、家を出たいって欲求が強かったんです。私立の中高一貫校に通っていたんですが、たまたま友人が留学すると知って、そんな方法があるんだと。それで高校3年間、アメリカに留学していました。当時は、ファックスで母と文通を始めたりして、家族といい距離感が取れていたと思います。アメリカの大学に進学する話があったんですけど、やっぱり日本で、日本語で勉強したいと思って帰国しました。
── 受験勉強の末、みごと東京大学に合格されました。
藤木さん:小さいころから、弟のぶんも私が頑張らなきゃいけない、「私と弟は2人でひとつ」という気持ちがあって。耳が聞こえないことを仮にマイナスだとしたら、私が勉強を頑張ることで、それを埋められる…みたいな発想がありました。
── 周りから悪気なく「弟さんのぶんも頑張って」と言われたことが影響したのかもしれませんね。
藤木さん:そうですね。でも、私の当時の思いを弟が知ったら、きっとイヤな気分になると思います。弟本人は別に頑張ってくれなくていいって思ってるかもしれないのに。今思えば、周囲の言葉かけは安易だったかもしれません。
── 東大に入学して何か変化はありましたか。
藤木さん:東大に受かったとき、たしかに親戚の見る目が変わったし、母も喜んでくれて、周囲を見返せたような気がしました。でも結局、私がどんなに頑張っても弟の耳が聞こえないのは変わらないし、弟に対する世間の目が変わるわけじゃない。大学生のときに、ある方から、「弟さんとあなたは別の人間なんだということを、わかってあげてほしい」と言われて初めて、その考えは間違っていたんだと思い知りました。
PROFILE 藤木和子さん
ふじき・かずこ。弁護士、手話通訳士。1982年生まれ。東京大学卒業。5歳のときに3歳下の弟の聴覚障害がわかり「きょうだい児」となる。現在はきょうだい児の立場の弁護士として発信や相談などの活動を行う。「全国障害者とともに歩む兄弟姉妹の会」副会長、「聞こえないきょうだいをもつSODAソーダの会」代表を務め、「シブコト 障害者のきょうだいのためのサイト」共同運営にかかわる。著書に『きょうだいの進路・結婚・親亡きあと 50の疑問・不安に弁護士できょうだいの私が答えます』(中央法規出版)など。
取材・文/小新井知子 写真提供/藤木和子