自身が離婚したときも「同居は絶対にない」と思っていた大和田美帆さんでしたが、母・岡江久美子さんが亡くなったことが父に与えた影響が想像以上に大きかったのを目の当たりにし、大きな決断を下します。(全5回中の4回)
母が亡くなって1年経ったころに
── 母・岡江久美子さんが2020年4月にお亡くなりになってから約4年半、今の心境について伺っても大丈夫でしょうか?
大和田さん:母が亡くなったことはもちろん理解しているんですけど、何かのタイミングでふと現れるんじゃないか。「美帆」って名前を呼ばれるんじゃないかっていまだに思うことがあって、本当の意味ではまだ理解していないのかもしれないですね。母のことを話すときも、何かの物語を話しているような不思議な感覚があります。
── ショックは大きかったと思いますが、体調面はいかがですか?
大和田さん:今でも時々ワッと泣くこともありますが、母が強く育ててくれたからか、気持ちが落ちてご飯が食べられなくなるとか、夜眠れないといったことは4年間一度もないんですよ。逆に父は眠れない夜がときどきあるみたいですが。
── お母さまが亡くなって1年後、お父さんの大和田獏さんと「音楽葬」というライブを配信されました。
大和田さん:母が亡くなったときは葬儀もできなかったので、母が亡くなってから数か月後に『はなまるマーケット』の薬丸裕英さんや限られたスタッフさんたちが家に来てくれたんです。ただ、そのときはまだまだたくさんの方にご挨拶できる状況ではなかったので、母が亡くなってから1年後、改めてご挨拶する場を設けました。母のことを大切に思っているご友人に私がインタビューしに行って、自分で編集して動画を作って。また、母が亡くなったときの状況や、いままでこうした思いで日々過ごしてきましたといったことをお話ししました。
お葬式も荼毘に付すのもそうですが、ちゃんと悲しみと向き合うから次に行ける。形式だけじゃなくて、節目って精神的にも大事なことだなと思いました。
── お父さんの生活はいかがでしたか?お母さんが亡くなったとき、父と娘で別で暮らしていたそうですが。
大和田さん:共働きなので、もともと料理はしていたんです。母がいないときは私にご飯を作ってくれたり、朝ごはんもそれぞれが好きなものを作ったり。洗濯もするし、日曜日は家事もしていて、そのあたりは母が鍛えてくれたおかげですね。
ただ、母は父より6歳年下です。まさか、自分より先に逝くとは思っていなかったでしょうし、父は母のことが大好きなんですよ。今は寂しいという気持ちを抱えながらも、舞台やお仕事もあるので、支え合いながら頑張っています。