絶対に同居はないと思っていた
── お母さんがお亡くなりになって1年後にはお父さんと同居されたとか。
大和田さん:母が生きていたら、親と一緒に住もうとは思わなかったですね。母は、私が離婚したときも「あなたが自分で決めて離婚したんだから、こっちに帰ってこないでね」と言われて親を頼らなかったし、自分自身も同居は考えたことはなかったです。母が亡くなったときも、父には父の人生を進んでほしいと思っていたし、父が元気なのに同居して父の面倒を見るのも違うと思ったんですよね。
ただ、友人たちと話をしていると、この先の人生も後悔しないように過ごしたい。父のダメージが想像以上に大きかったので、家族で支え合うときだって思い始めたんですね。私の中では結構大きな決断でしたが、私から父に声を掛けました。
── お父さんの反応はいかがでしたか?
大和田さん:「ありがとう!」って即答していて、父、甘え上手なんですよ(笑)。でも言ってよかったなと思いました。私も娘とふたり暮らしでしたし、3人で一緒に住むようになって、父に娘を見てもらっている間に買い物にも行けたり、娘にとっても頼るべき相手が増えて、家族でうまくバランスが取れている気がします。
── ご飯は一緒に食べますか?
大和田さん:全然…。週1回一緒に食べるかどうかですね。玄関やキッチンはバラバラだし「おはよう」とか1日1回挨拶はしますけど、完全に二世帯です。それでも何かあったらすぐ駆けつけられる距離にはいるので安心はしています。
── これからやっていきたいことはありますか?
大和田さん:役者は今まで通り続けながら、「子どもが笑えば世界が笑うプロジェクト」を立ち上げました。子どもに向けて歌や紙芝居をしています。
── なぜ「子ども」にフォーカスしたのでしょうか?
大和田さん:元々高校生の頃に、障がい児のキャンプに行ったことがきっかけで子どもが好きなり、20代の頃から施設や学校に行ってコンサートをしていたんです。
その後、2020年4月に母が亡くなり、6月に病院からコンサートの話が来たタイミングで父にある提案をしてみたんです。私たちのように家族を失ったからこそできることがあるんじゃないか。父と私で「ばくみほ」というユニットを組んで、子ども病院や施設に足を運び、歌や紙芝居を届けるのはどうだろうって。父も誰かのために動きたいと言ってくれて、ユニットが結成しました。
── 素敵なユニットですね!
大和田さん:ちなみに「ばくみほ」は「ばく」と「みほ」の間に母の「くみ」も入っているんですよ。これからも私にしかできないことを模索しながら進んでいこうと思っています。
PROFILE 大和田美帆さん
おおわだ・みほ。1983年生まれ。東京都出身。2003年、舞台『PURE LOVE』でデビュー。ミュージカル『阿国』、音楽劇『ガラスの仮面』、『アマデウス』、『ハリーポッターと呪いの子』など多くの舞台で活躍。「チョイス@病気になった時」にMCとして出演中。1児の母。
取材・文/松永怜 写真提供/大和田美帆