父は大和田獏さん、母は岡江久美子さんを持つ大和田美帆さん。まだ夫婦共働きがめずらしい時代。「母ともっと一緒にいたい」という気持ちが募り、反抗的な態度をとった時期があったと言います。(全5回中の1回)

先生に反抗的な態度をとったことも

大和田美帆

── 子どものころはどんな子どもでしたか?

 

大和田さん:明るくて活発でふざけるのが大好き。クラスでもムードメーカーだったと思います。でも、小学生のころはあまりいい思い出がないんですよ。私が通っていた小学校は当時、母親が働いている人がほとんどいなかったんです。さらに、私の母親は夜から仕事に行くこともありましたが、周りの同級生の家ではそうじゃないと知ってしまった。「美帆ちゃんのお家、お母さん忙しいからね。かわいそう」って言われると、あ、私、かわいそうなんだ…って思ってしまったというか。

 

── ドラマの撮影で2、3週間家を開けることもあったそうですね。

 

大和田さん:母も、遠方の撮影でも時間を見つけてこまめに家に帰ってくるとか、私を寂しくさせないように最大限努力してくれたことはわかるんですよ、今なら。でも私はひとりっ子で自分の気持ちを共有できる相手もいなかったし、やっぱり母ともっといたい。そんな吹き溜まりのような気持ちが募ってしまって、友だちに意地悪してみたり、先生に反抗的な態度をとってみたり、今思えば私なりの寂しさを訴えていたんだと思います。小学校低学年のころは特に荒れていて、母は学校から何度も呼び出しをされていましたね…。

 

── 夏休みになると『天までとどけ』の撮影もしていたそうですね。

 

大和田さん:私が小学1年生のころに撮影が始まったのかな。撮影が始まると母はずっと現場に行っていたので、私はその間、インターナショナルスクールのサマーキャンプや、泊まりがけの自然キャンプに行くとか。私が家で寂しい思いをするよりはと考えてくれたんだと思います。

 

3、4年生になると『天まで届け』の撮影も何度か観に行くようになりましたが、初めて現場に行ったときは少し衝撃でした…。13人の子役たちが私のお母さんのことを「お母さん!」と呼んでいる姿を見てびっくり!私の中で何かが切れてしまって奥に引っ込んじゃいました。母も察してくれたのか、少しずつ輪に入れるように配慮してくれて、私もみんなと次第に仲良くなってきたのかな。彼らも仕事でここにきてるんだとわかってから穏やかになりました。

 

ドラマも何年もシリーズとして続きましたし、キャストとは今でも仲良し。母のことを誇りに思う一方で、寂しい気持ちはずっと残っていたと思います。

 

── お母さんに感情をぶつけることはありましたか?

 

大和田さん:それが結構、我慢していたんですよね。母が出かけるときも「仕事に行かないで!」って言ったら困るかなと思って言えなくて。「行ってらっしゃい!」って見送ってからドアが閉まった瞬間ワァって泣くとか。大人になってからそんな話をしたら、母は泣いてましたけど。運動会や遠足など、学校行事はあらかじめ仕事を調整して来てくれましたが、私以外の人間が、私の両親をよく知ってるんです。授業参観では、先生から「明日の授業参観、(母に会えることを)楽しみにしているぞ」って言われると、母じゃなくて私を見てほしい、と思うことが何度かありました。

 

そんな思いが溜まってしまったある日。「なんで私をこんな芸能人の家に産んだのよ!」って言ってしまったことがあるんです。そのときも母は泣きながら「ごめんね」って言っていて、父は「僕たちは誇りを持って仕事をしている」と言いながら、家族で話をしたことはありましたね。私も2度と言うまいと思いました。