宝塚音楽学校での厳しい日々を経て、花組トップスターへの階段を上っていった愛華みれさん。「錦の御旗を上げるまでは」と奮闘した下積み時代の話について伺いました。(全4回中の2回目)

「このままついていけるのか」日記に綴った苦悩

研究生時代の愛華みれさん
研究生時代の愛華さん

── 音楽学校時代はどのような日々でしたか?

 

愛華さん:大変でしたね。音楽学校時代、成績はあまりよくなかったのに、責任を一手に任されることが多かったんです。寮ではまとめ役の寮委員を務めていましたし、合唱の授業ではアルトの部の責任者を担っていました。

 

譜面が読めないにもかかわらず、先輩から「森田さん(本名)やってくださる?」と頼まれて。同期からは「大丈夫かしら」と心配もあったと思うんですが、小さいころから大勢の従妹たちをまとめてきた経験が役立ちました。「はい、ここは強く~。そこは弱めて~」と指示は出せるんです(笑)。結果、私たちの学年だけ2年連続で全国合唱コンクール金賞を取ることができました。

 

音楽学校で2年間過ごし、初舞台を無事に終えて、研究科1年生(以下、研一[けんいち])に。私は負けず嫌いなので周りには弱みを見せられず、何があっても強いと思われていて。だから、誰かが失敗すると私が代表して怒られることもあって、そんなときは「みんな頑張ろう!」と励ますんです。でも、帰宅後は「このまま劇団についていけるのだろうか」と悩みを日記に書くこともありました。そんななか、研一の終わりに突然降って湧いてきた抜擢があったんです。

 

── どのような役をいただいたのですか?

 

愛華さん:薩摩藩士の役です。音楽学校の文化祭でもセリフらしいセリフを言ったことがなかったのに、いきなり主役の敵役という大役。膨大なセリフを前に最初は戸惑いました。鹿児島出身で日本舞踊や剣道の経験があったから、そこを見込んでくださったのかもしれません。その期待にどうすれば応えられるのか。周囲との実力差をどうやって埋めていけばいいのか、毎日必死でした。

 

そんななか、これは風の噂なんですけど「大地真央さんが初舞台を見ていて、右から4番目の子がすごいと褒めていた」と同期に教えてもらったんです。「え、右から4番目って私のこと?」と。私を見つけてくださったことが嬉しくて。それから音楽学校や研一という立場にも関わらずファンの方もついてくださるようになりました。しかし、当時の私はファンの方との距離間に悩むこともあって。そうした悩みがあってもスターの先輩方は遠い存在で相談できないし、近い先輩には「あなたは恵まれているのよ」と言われてしまいそうで。悩みを打ち明けられず悶々としてしまうことがありました。

 

そんなときは同期と励まし合ったり、ときには山に登って「わー」と叫んでリフレッシュしたり。タカラジェンヌの先輩方の自伝を読み返して勇気をもらうこともありました。「錦の御旗を上げるまでは」という気持ちも強く、簡単に故郷には帰れないと思っていたんです。

 

当時、厳しく指導してくださる先輩方もいましたが、「自分のために貴重な時間を割いてつき合ってくれている」と思うと、心から感謝の気持ちが湧きました。今ではその先輩方とも笑い合える仲です(笑)。なかには「あなたは素敵なスターになりなさいよ」と言って退団されていく先輩方もいて、「私がその方たちが果たせなかった夢を引き継いでいこう」と身が引き締まる思いでした。とにかく「何者かになるまでは」という思いが強かったです。

勝ち負けが明確に見える世界で

22歳のころの愛華みれさんとご両親
22歳のころ。父と母と一緒に

── そこから花組のトップスターへと駆け上がっていかれたわけですね。

 

愛華さん:振り返って見れば自分でも華やかだなと思いますが、本人としては無我夢中です(笑)。私は初舞台から退団まで、ずっと花組なんです。宝塚歌劇には、花組、月組、雪組、星組、宙組とそれぞれにカラーがあって、ほかの方は複数の組を経験しながら成長していく人が多いんですが、私はほかの組を知らない珍しいパターン。だから、のちに「花組色満載の人」と言われましたね。

 

劇団からは「花組が人気があるときは宝塚が栄える」と教わってきました。実際、花組の男役は他の組に移ってもスターとして活躍していますし、お互いに切磋琢磨してきたメンバーものちにほかの組でスターになっていって。けれど、一緒にライバルとして競い合っていた時期は毎日が本当に大変でした。宝塚の世界は、明日はどっちが上がるか、どっちが落ちるかと目に見えて自分のポジションがわかるんですよ。

 

── 勝ち負けがはっきりしていると。

 

愛華さん:ええ。たとえば「舞台衣装の右肩に金色のキラキラがついている、私にはついていない」「左肩に羽がついている、私にはついていない」って。それによって自分が今、どの位置にいるのか、どこを目指して努力しなければならないのか見えるんです。特に花組のトップだった大浦みずきさんの時代は、ダンスを極めることが求められて。振付の先生に「ダンスが踊れない人たちは人間じゃない」と愛情ゆえの厳しいお言葉も(笑)。大浦みずきさん、安寿ミラさん、真矢ミキさんといった素晴らしいダンサーたちに囲まれながら、同じレベルで踊るわけですから、私にとっては「ひゃあ」なんです。

 

振りつけで「90度に足を上げる」と決められていても、周りはもっと高く足を上げる。でも私が同じことをすると次のターンに間に合わないから工夫するしかなくて。みんなが足を上げた一瞬で次のターンが同じに見えるようにタイミングを揃えると。今では笑い話になりますが、「あなたはその環境の中で、よく生き残れたわね」って。ダンスの基礎がないまま、実力が追いつかないままやってくる自分のポジションにとにかく必死でした。