「健常者は障がい者を助けなきゃ」という前提、おかしくない?

── SNSでほとんど炎上しないみゅうさんですが、過去一度だけ炎上したことがあると伺いました。旅館に宿泊したときに「こういうことが不便だ」とつぶやいたことがきっかけだったとか。この件に限らず、障がい者の方の発信はなぜか炎上しやすいように思うのですが、なぜだと思いますか?

 

みゅうさん:ネット上で誰かを叩くような人って、もっともな意見を発信したい人もいると思うけれど、普段あんまり意見を言えなかったり、日常にストレスを抱えていたりするタイプなんじゃないかな…。おそらくそういう人は、障がい者のことをことさらに差別したり下に見ているつもりはなくても、無意識に弱い立場の人として扱っている感覚が多少あると思う。でも、そういう感覚って、私にも少なからずあったと思うんですよね。

 

自分が健常者と呼ばれる立場だったときは、たとえば障がいがある方を見かけたら「何か手伝わなきゃ」「やさしくしてあげなきゃ」と自然と感じたと思うんです。でもそれって、相手が自分よりも弱い人だという感覚があるからじゃないかなって。だから「何か手伝いましょうか?」と、相手が困っている前提で話しかけてしまう、というか。おそらくネットで叩かれるのも、障がい者が無意識に弱い立場だと認識され、叩きやすいカテゴリーに入ってしまっているのが原因のように思います。

 

葦原みゅう
自身の体験談などを伝える講演会も積極的に行っています

── なるほど…。弱者を下に見るような感覚なのでしょうか。

 

みゅうさん:そうかもしれません。私自身、街なかで「何かお手伝いしましょうか?」と声をかけてもらえることがあって。もちろんそれは、その方のやさしさだから、とてもありがたいんです。その一方で、障がい者と健常者という立ち位置の違いがあるから生まれる言葉なのかなとも感じていて。何かものを落としたり、明らかに何かに困っているという状況ではないのに、「お手伝いしましょうか?」という声かけが生まれる。その背景には、健常者は障がい者を助けるべきという意識が少なからずあると思うんです。

 

この活動を始めてから、街で毎日のように声をかけていただくんですが、最近は「何かお手伝いしましょうか」ではなくて、「みゅうさんですか?」「いつもSNS見ています」という声かけに変わってきていて。健常者と障がい者の違いから生まれる関係性とはまた違う立場で声をかけてもらえることを、すごくうれしく感じています。

 

PROFILE 葦原みゅうさん

あしはら・みゅう。車いすユーザーで、モデルやインフルエンサーとして活動。ミラノ、パリ、ニューヨークなど各国のファッションショーで活躍する。東京2020パラリンピック閉会式やMISIAデビュー25周年アリーナツアーではパフォーマーとしても出演。

 

取材・文/市岡ひかり 写真提供/葦原みゅう