織田裕二さんの「キター!」でおなじみのものまね芸人・山本高広さん。「ものまね芸人になる」とカラオケで練習に励むなか、自分には芸人としてあるものが決定的にたりないと気がつきます。(全4回中の3回)
隣の部屋に突撃し「ネタ見てもらえませんか?」
── 現在では織田裕二さんなどのものまねで活躍する山本さんですが、ものまね芸人を目指したのはいつからなのでしょうか?
山本さん:高校卒業後は調理の専門学校に行き、見習いとして2年半のあいだ修行。その後も声優の専門学校や俳優を目指して劇団に所属するなど、ものまね芸人とはほど遠い生活をしていました。
26歳のときに人間関係に悩み、劇団を辞めた後は、半年くらいフリーターとしてパチンコ屋でアルバイトをしていました。そのころにテレビでコージー冨田さんがタモリさんのものまねをしているのを見て、自分も小さいときに地元で選挙活動をしていた政治家・麻生太郎さんのものまねなどをよくしていたことを思い出しました。それで、自分もものまねを仕事にできないかと考えたんです。
── そこからどうやってものまねの技術を習得したんですか?
山本さん:基本的には独学です。私は思い立ったらすぐに行動しないと気がすまないタイプなので、その日から9時〜17時のアルバイトが終わるとカラオケボックスに行き、ひたすら練習をしました。歌では氷室京介さんや郷ひろみさんの練習をしていましたが、カラオケだから歌まねばかりしていたわけではなく、当時バラエティーによく出演されてた中尾彬さんやニュースで話題になっていた鈴木宗男さんなどのしゃべりネタもやっていましたね。
── ものまねの腕前はすぐに上達したのでしょうか?
山本さん:上達したかどうかというより、練習していくうちに「ものまねでいちばん大切なのは度胸ではないか」と思い至りまして。度胸がなければ舞台に立ったとしても上手にものまねなんてできないですから。当時の私には度胸がまったくありませんでした。だから、度胸をつけるためにカラオケボックスで知らない方々のいるお部屋をノックして、「ものまね芸人を目指しているんですが、ネタを見てもらえませんか?」と突撃したんです。
もちろん断られることもありましたが、10組中7組くらいは見てくれました。事務所に所属してからも代々木公園でデートをしているカップルに話しかけて、ネタを見てもらったこともあります。映画『踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』の公開後だったため、織田裕二さん演じる青島刑事とそっくりなカーキ色のコートを着て、「レンボーブリッジ封鎖できません!」って。そういうことを繰り返すうちに、度胸は徐々についていった気がします。
織田さんのものまね「やって大丈夫ですか?」
── そこからテレビなどで活躍するようになるまでは、どのような経緯があったのでしょうか?
山本さん:活躍するためには事務所に所属する必要があると思い、書店に行って、芸人を募集している事務所を当時の雑誌で片っ端から調べたところ、ワタナベエンターテインメントがオーディションを開催していることを知ったんです。それでネタ見せに参加したところ、気に入ってくださいました。おりしも、ものまねができる人材が当時は事務所に少なかったこともあり、タイミングよく仮所属させてくれることになりました。とはいえ、すぐにテレビの仕事があるわけではないので、しばらくはものまねショーを行うショーパブやライブを中心に活動をしていました。
── ショーパブでの仕事はどうやって見つけたのですか?
山本さん:事務所のオーディションを受けたときに、隣にいたのがものまね芸人の坂本冬休みさんで、そこで坂本さんの知り合いのショーパブを教えてもらったんです。いくつか回ったなかで麻布に自分に合いそうなショーパブがあり、「ぜひここでものまねをやらせてください!」とお願いして出演させてもらえるようになりました。
しばらくはショーパブを中心に活動していましたが、2003年に『踊る大捜査線』の2本目の映画が公開されたのを機に少しずつテレビに出演できるように。ずっと続けていた織田裕二さんのものまねに注目が集まり始めて、本格的にブレイクしたのは2007年です。世界陸上でキャスターを務めた織田裕二さんの「キター!」というものまねを『とんねるずのみなさんのおかげでした』の「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」で披露したところ、注目してもらえるようになりました。
そのおかげで『森田一義アワー 笑っていいとも!』にも呼んでもらえたり、露出が徐々に増えていきました。現在ではものまねだけでなく、声優などの仕事もさせてもらえるようになりました。
── 一時期は織田裕二さんの事務所からものまねNGが出たという報道もありました。今はどうなのでしょうか?
山本さん:NG というより、事務所から言われたのは「織田さんを傷つけるような発言に気をつけてくれれば大丈夫です」ということ。でも、それがテレビ局側にあまり周知されておらず、「織田さんのものまね、やっても大丈夫ですか?」と聞かれていた時期もありましたね。
父親にも「織田さんへの感謝の気持ちを忘れるな」と言われていますし、私自身、本当に織田さんには感謝をしています。ただ、いまだにお会いしたことがないことが本当に残念で…。いつかもしお会いできることがあれば、織田さんのおかげで今の私があって食べていけているわけですから、感謝の気持ちをきちんと伝えたいですね。
PROFILE 山本高広さん
やまもと・たかひろ。1975年、福岡県生まれ。織田裕二、ケイン・コスギなどのものまねを得意とするものまね芸人。声優としても数多くの吹き替え映画やドラマ、アニメなどに出演。調理師免許を持っている。
取材・文/酒井明子 写真提供/山本高広