ものまね芸人として活躍する山本高広さんですが、高校卒業後は調理の専門学校に進み、飲食業の道を歩みます。それが、ホテル厨房で下ごしらえの作業をしていたある日、「俺はこのままでいいのか」とふと頭をよぎったそう。そして、突然──。(全4回中の2回)
包丁を置いて、そのまま上司に辞職願いを
── 今ではものまね芸人や声優として活躍されていますが、小さいころから芸能に憧れがあったのでしょうか?
山本さん:幼少期からものまねは好きで、よく学校の先生や友だちのまねをしていました。地元で選挙活動をしていた政治家・麻生太郎さんのものまねもタスキまで作ってやっていましたね。
高校卒業のときに今後の進路について考えたのですが、大学に行けるような成績ではなく、やりたいこともなく悩んでいました。そのときに父親から「お前は食べるのが好きだから料理の道に進むのはどうか」と言われたんです。それで卒業後は芸能の世界とはまったく関係のない、調理の専門学校に進みました。
── お父さんは料理関係のお仕事なのですか?
山本さん:全然違います。父の仕事は経営コンサルタントで、ものすごく真面目な人。いわゆる仕事人間で、息子にも安定した職に就いてほしかったのだと思います。父は明治大学を卒業していました。息子にも大学に行ってほしいと思いつつも、進学は難しそう…という理由で、息子が好きそうな食の道を勧めてくれたのではないでしょうか。
私も特にほかにやりたいことがあったわけではないので、言われた通り地元の調理専門学校に進学したのですが、あまり真面目には通っていなかったですね。行くことは行っていましたが、積極的に学ぶ姿勢はなく、授業には集中していなかったと思います。
── そんな状況のなかで、卒業後はどうされたのですか?
山本さん:地元のホテルのレストランなどで、計2年半ほど働きました。といっても調理をさせてもらえるわけではなく、ずっと見習い。雑用や食材運び、伝票整理など、調理とはほど遠いことばかりしていましたね。
仕事のひとつに、腕に抱えるほど大きな箱に入った長ねぎを、すべてをみじん切りにする日課がありました。ひたすらみじん切りをしていたのですが、ある日その途中でふと「こんなことずっと続けていて、俺はどうするんだろう」という思いが頭に浮かんだんです。このまま料理人としてずっとホテルに勤めるのか、それとも将来的に自分の店を持ちたいのか…。考えた結果、どちらも違うなと思い、包丁を置いてそのまま上司に辞めたいと言いにいきました。
上司からは「辞めてどうするんだ?」と聞かれたので、「芸能人になります」と言ったら、鼻で笑われましたね(笑)。
堅物な父親の「キター!」に衝撃を受けた日
── 仕事を急に辞めたことに、ご両親も驚いたのではないですか?
山本さん:両親に何も言わずにホテルを辞めたので、帰り道車を停めて車内で1時間ぐらいどう伝えるか悩んでいました。普段からテレビでよく吹き替え映画を観ていたので、その影響で声優の仕事に憧れるようになりました。
それで東京にある声優の専門学校に行こうと思い、両親に伝えたところ、母は応援してくれたのですが、父はやっぱり反対で…。いずれは諦めて地元に戻ってくるだろうという感じで、送り出してくれました。
── でも、今ではものまねだけでなく声優のお仕事もされていますよね。
山本さん:今でこそ声優のお仕事もさせていただいていますが、声優の専門学校を卒業した当時は、声の仕事なんてまったくなかったんですよ。学校ではマイクワークや声の表現方法などを習ったのですが、卒業後に学校が声優事務所に紹介してくれる生徒はわずか3〜4人。選ばれることはなく、卒業後はどこの事務所にも所属できませんでした。
それで役者になろうと思って劇団を探して1年半くらい頑張ったのですが、人間関係でうまくいかずに辞めてしまい…。仕事もなく、パチンコ屋で半年ほどバイトをしていました。そのときに小さいころにものまね芸人に憧れていたことをふと思い出して、やってみようかなと思ったんです。独学でいろいろと勉強してなんとか形になり、そこから事務所に所属したり、ショーパブに出演できるようになったりして、露出が徐々に増えていきました。
── 反対されていたお父さんの反応はどうでしたか?
山本さん:テレビに出られるようになってからも、私の前では露骨に喜ぶような態度はみせませんでした。父は、テレビ番組はNHKと『日立 世界ふしぎ発見!』しか観ない人なので、私がテレビに出ているのも見たことあるのかどうか…。
でも、連絡を取っていた母や妹には、「高広は東京でちゃんとやれているのか、ご飯は食べられているのか」としょっちゅう聞いていたみたいです。心の中ではずっと心配してくれていたのだと思います。
── 密かに応援してくださっていたのではないでしょうか。
山本さん:そうですね。そういえば、一度だけ父がテレビに出たんです。明石家さんまさんの特番で、芸能人の両親について特集する番組だったのですが、それに父がVTRで出演して。しかもVTRの最後に、私がよくやる織田裕二さんのものまねの「きたー!」ってやったんですよ。あれは心の底から驚きましたね。そして「東京で頑張れ」「織田裕二さんへの感謝を忘れるな」と言ってVTRで応援してくれました。
今、自分が父親になってみて、子育てって本当に大変だと実感しています。最近の子育てはタブレットを使えたりと便利になった部分も多いですが、私が小さいころはもっと大変だっただろうと思いますし。両親にここまで育ててもらったことは、本当に感謝しています。
PROFILE 山本高広さん
やまもと・たかひろ。1975年、福岡県生まれ。織田裕二、ケイン・コスギなどのものまねを得意とするものまね芸人。声優としても数多くの吹き替え映画やドラマ、アニメなどに出演。調理師免許を持っている。
取材・文/酒井明子 写真提供/山本高広