「恥さらし」と言われても母親を責める気にはなれない理由
── 実際、「恥」だと言われたことが…?
中武さん:「恥さらし」と言われましたね。「あれだけの時間と労力をさいたのに、私の人生を台なしにして!」とも。その言葉を聞いたとき「母の時間を奪って申し訳なかった」気持ちと同時に「私自身を見てくれていたわけじゃなかったんだ。私は母の承認欲求を満たすアイテムでしかなかったのではないか」という思いがあふれ、ものすごく悲しくなったんです。
元子役の人生に関するテーマで、インターネットテレビ『ABEMA Prime』に出演した際に、母のことを話したのですが、番組のコメントには「毒親だ」「親に洗脳されている」というものもたくさんありました。正直、私も長年そう思ってきました。ただ、実際、自分が親になってみると「毒親という言葉で片づけるのは違うかもしれない」と感じるようになったんですね。
── なぜでしょう?
中武さん:子どもの稼ぎで贅沢ざんまいしてきたのに、子どもがどん底に陥ったときに突き放した、たしかにそこだけを切り取ると「毒親」というレッテルを貼られるのかもしれません。でも、6歳でデビューして以来、ずっと母がつきっきりで芸能活動をサポートしてくれたんですよね。地方ロケもあるので、その間、父や姉は放置でした。いまの自分が、子どものためにそこまでできるかと言われれば、とてもムリです。
それなのに、売れなくなったら、私はひとりで落ち込んでたいした努力もしないまま、逃げるように芸能界をやめてしまった。結果的に、母の努力やキラキラした生活を奪ったのは事実です。そんな私に対して「自分は犠牲になった、裏切られた」と感じるのは、ある意味、しかたのないことかもしれないなと思うんです。だから、母を恨む気持ちはありますが、嫌いにはなれない。憎しみと感謝、申し訳なさもあって、すごく複雑な感情です。
── いろんな感情が入り混じっているのですね。
中武さん:本来、家族として過ごす大事な時間を、私が奪ってしまったという思いもあります。姉に対しては、とくに申し訳ない気持ちが強いですね。思春期に相談したいことがあっても、母は私につきっきりで家にいない。姉は受験も進路も、ひとりで決めているんですよね。父も飲み歩いてばかりで家にいなかったので、寂しい思いをたくさんしたと思います。芸能界をやめたとき、姉から「母を私に返して。もう十分でしょ」と言われたんです。私が芸能活動をしなければ、もっと違う家族の形がつくれたのではないか。いまも、その気持ちはありますね。
仲直りせず逝った母「謝りたかったし、感謝を伝えたかった」
── 佳奈子さんが自分と向き合い、お母さんとの関係も客観的にみつめていらっしゃることがわかります。現在の親子関係が気になるのですが、歩み寄ることはできたのでしょうか?
中武さん:母はコロナの第一波のときに亡くなりました。もともと持病があり、体力がもたなかったようです。ですから、和解はできませんでした。数年前に「電気代の3600円を貸してほしい」と電話をして断られたのが、最後のやりとりになってしまいました。
── つらいことを思い出させてしまい、ごめんなさい。最後にお母さんに伝えたかった言葉はありますか?
中武さん:勝手に芸能界をやめてしまって「ごめんね」と謝りたいです。あとは、やっぱり、ちゃんと目を見て「ありがとう」と伝えたかったなと。
──「ありがとう」には、どういう思いが込められているのでしょう。
中武さん:2つあります。ひとつは子どものころ、芸能活動を支えてくれて「ありがとう」。もうひとつは、私に救いの手を差し伸べなかったことです。当時は、それを恨めしく思っていたけれど、もしもあのとき助けられていたら、きっと私はまた中途半端な生き方をしていたかもしれません。親が突き放してくれたから、自分の人生と本気で向き合うことができたんじゃないかと思うんです。そういう意味での「ありがとう」です。
PROFILE 中武佳奈子さん
なかたけ・かなこ。1982年、大分県生まれ。1988年から放送された人気番組『あっぱれさんま大先生』の出演メンバーの第一期生としてブレイク。その後も、ドラマやバラエティー番組、CMなどで活躍。28歳で芸能界を引退。現在は、YouTubeチャンネルで活動中。
取材・文/西尾英子 写真提供/中武佳奈子