子役として、『あっぱれさんま大先生』のかなちゃんとしても、人気を集めた中武佳奈子さんですが、次第に仕事が減っていくなかでショックな出来事に直面し、芸能界を引退します。大きな決断をした彼女の胸の内は?(全5回中の1回目)
人気に陰りが出てきたタイミングで…
── 『あっぱれさんま大先生』の第一期生として、「かなちゃん」の愛称で親しまれていました。
中武さん:4歳のときに姉の勧めで子役の事務所に入り、6歳で『あっぱれさんま大先生』のオーディションを受けました。もともとおとなしくて挨拶ができないくらい内弁慶だったんです。ただ、オーディションの基準が素人っぽい子で、「まったく何もできない子を採用した」と、後に聞かされました。『あっぱれさんま大先生』のオーディションには、タレントとしてのちに有名になられた方もたくさんいらしたとか。番組には8年間、出演させていただいたので、私にとっては学校のようなものでした。みんな子どもだったので、よく楽屋でケンカしていました(笑)。
── ドラマやCMなどにも引っ張りダコでしたね。
中武さん:忙しくて、小・中学校は、ほとんど学校に行けませんでした。友だちと遊んだ記憶もあまりないです。運動会は毎回不参加で、修学旅行にも行っていません。いま12歳になる子どもがいるのですが、林間学校やお別れ遠足など、意外と学校っていろいろ行事があるんだなと知りました。私が子役だったころは、「生放送は20時まで」といった労働時間のルールはあったものの、通常の収録ではとくに制約がなかったみたいで、ドラマや映画の撮影では、日をまたいで仕事をしていた記憶がありますね。
── 18歳のときには、写真集と歌手デビューも果たし、20代前半で『世界ウルルン滞在記』でも活躍されました。順風満帆な芸能活動から一転、28歳で突如、引退に至ったのは、なぜだったのでしょうか。
中武さん:子役時代は、ただ事務所に与えられた仕事をやっていたのですが、だんだん自我が芽生え、やりたい仕事をつかみに行くという気持ちが強くなっていったんです。子役時代のイメージのまま売りたい事務所と、自分の目指す方向性が違ってきて、悩み始めていました。徐々に仕事が減っていき、事務所を変えたりするなかで「脱ぐ仕事」、つまりセクシービデオへの出演話なども出てきて。ショックでした。そうした仕事の方たちを否定するつもりはありませんし、れっきとした職業だと思っていますが、自分が望んでいないのに脱ぐのは違うと、怒りがわいてしまって。
当時の私はレギュラー番組も終わって、仕事は下降傾向。事務所としては話題性があるうちに、商品としてなんとかしたいと思ったのでしょうね。「1本でいいから!絶対売れるから!」と、強く言われました。